呼子は捕鯨業の港町。

 

歴史江戸時代初頭、唐津藩主・寺沢広高が和歌山県太地町から捕鯨業者を招き、技術を学ばせたことに始まるそうです。

 

そして、呼子に巨万の富をもたらしました。

 

その栄華を象徴する建物が遺されています。

 

鯨組主中尾家屋敷

(佐賀県指定重要文化財)

 

呼子の捕鯨業の中心を担った家で、明治時代に廃業するまで8代続きました。

 

 

1700年代前半に建てられた、九州最古級の町屋建築。

 

 

2棟が繋がる形になっていて、その接続部分の壁や柱、建具が二重になっています。

 

2棟が異なる時期に建てられた為、その様な造りになったそうです。

 

 

隣接している蔵では、節句飾りが展示されていました。

 

 

更に、その隣りには、稲荷神社が鎮座しています。

 

 

その名も、鯨鯢稲荷神社。

("鯨鯢"とは、鯨の雄雌のこと)

 

残念ながら、内部は撮影禁止…

 

 

迫力の主屋で、特に目を見張ったのが巨大な梁。

 

屋根はもちろん、壁も重厚な梁が剥き出しとなっていて、まるで鯨の腹にでも迷い込んだかの様でした。


まさに、"鯨御殿"と言うべき豪壮さ。

 

"鯨一頭で七浦が潤う"とも言われ、一頭が現在価値で2,500万円程だったそうです。

(それが、年間数十頭ですから…驚)

 

最盛期には、帳場に千両箱が高く積み上がっていた程だったとか。

 

 

右上のポストカードにあるように、捕鯨前は盛大に祭りを行い、鯨を捌いた後は丁重に供養したそうです。

 

その供養をしたお寺へ。

 

龍昌院

 

通りの終点手前の高台に建っています。

 

門前からの景色。

 

 

3代中尾甚六が1755年に建立しました。

(鯨一頭分の代金で建てたそうです)

 

中尾家の菩提寺でもあります。

 

境内には、鯨の供養塔が2基建っています。

 

 

左が龍昌院建立時の鯨鯢供養塔。

 

右が捕獲数千頭到達の折りに、7代中尾甚六が奉納した鯨鯢千本供養塔。

 

人が生きるという事は、人以外の動植物を殺めるという事。

 

それは、残酷な行為ではあるけれども、極めて必然だと思います。

 

けれど、その犠牲をおざなりにせず、感謝し弔うという事を忘れない日本人の気質が私はとても好きです。

 

自分もその心を忘れず、日々、生きていきたい。

 

御本堂

 

境内には幼稚園が併設されています。

 

捕鯨業の栄華盛衰、現状と将来を想い、しんみり…

 

お参りを済ませ、昼食へ。

(その記事は明日にでも)

 

 

観音様も大漁仕様。

 

翌日、鯨珍味を扱うお店を訪れました。

 

松浦漬本舗

 

明治25年創業の老舗です。

 

日本珍味五種の"松浦漬"を購入しました。

 

松浦漬本舗HP(通販も出来ます)

 

このレトロなデザインに一目惚れ。

 

 

"かぶら骨"と呼ばれる、鯨の上顎の軟骨を酒粕に漬けたものです。

 

鯨は肉も骨も脂もヒゲも余す所無く利用されましたが、この松浦漬も"無駄なものはない、大切にしよう"という初代社長の想いが詰まった逸品。

 

スライスされたコリコリ軟骨に、これだけでも酔いそうな酒粕の風味に、ピリッと効いた唐辛子。

 

ご飯のお供に、酒の肴にはもちろん、お肉に添えてもいいかも。

 

この味がいつまでも失われない事を切に願いつつ…

 

続く右矢印