1958年式ポンコツ -26ページ目

1958年式ポンコツ

歳と共に記憶が曖昧だなぁと感じ記憶が飛ぶ前に綴っていこうとブログをはじめました。
主にフィリピンの事やスーパーカブ・日常がテーマになりますが宜しくお願い致しますm(__)m

ガイドをするといっても宣伝はどうしようと考えた時にブログをやろうと閃きましたが

当時のフィリピンはインターネットがやっと普及し始めたばかりで

ネット会社のスタッフが繋がらなくてアタリマエ繋がったらラッキーと言うくらい

繋がるまで時間はかかるし繋がっても重くやっとの思いでブログを立ち上げました!

初めの頃はアクセスも少なかったですがフィリピンパブ大好き紳士様が増え始め

コメントもいただけるようになり写真も載せた方がいいですよというコメントを

いただきブログに初めて載せた写真がコチラです。

ここはタガイタイといってマニラからも近く日帰りでも観光できるスポットで

タール火山とその周囲に広がるタール湖の周りにはレストランやカジノもあり

涼しい気候と絶景が魅力で観光やリラックスを求める人に最適な場所です。

自然や文化を感じながらのんびりとした時間を過ごすことができるので

フィリピンに来られた際は是非立ち寄ってみてください。

ブログのおかげでガイドの仕事も増えヒモ生活にもピリオドを打てました。

 

 

コンドミニアムに住むようになり当然の流れで彼女も住みつくようになり

彼女は夜になると仕事に出かけ僕はその間に掃除や洗濯をしてまるで主夫かヒモ!

そんなヒモ生活も一週間もすれば飽きて仕事をしなければといろいろ考え

調べたらフィリピンでは短期間であれば観光ビザでも仕事はできるそうで

短期間や観光ビザしかないという事はどこかに就職するという選択肢はないから

会社とかは立ち上げずフリーで動いた方がいいなと勝手に思い

ネオン街を歩いているとやたら日本人が多いのに気づき彼女にお店でお客さんに

日本語の話せる女性のガイドがいたらどうする?というリサーチをしてもらいました。

リサーチの結果は予約するや助かるが50%くらいであとはお店の女の子に

お金を払ってガイドしてもらうとか番外編で夜も一緒か?という紳士様も(笑)

もちろんガイドは観光地を巡ったりお客様の行きたい場所に案内する事なので

泊まりでガイドしても一緒の部屋に泊まる事はありません。

リサーチの結果もまずまずだったのでダメ元でガイドをやる事にしました。

ガイドをやるからには車と免許がなきゃという事でイザ免許取得へ!

元々クルマやバイクが好きで運転にもそこそこ自信があったのでウキウキ気分で

免許センターに行くとオフィスみたいな部屋とあとは広場みたいなところに

テーブルと椅子が並べられてあるだけの所でしたが申請書をだすと呼ばれて

まず初めにやらされたのは尿検査…彼女と彼女の友だち大笑い(笑)
尿検査は薬物などやっていないかのチェックでもちろんやっていればアウトです

それがクリアすると所長とのインタビュー
インタビューは運転中事故などがあった時タガログ語か英語で受け答えできるかのチェック

それがクリアすると写真撮影で免許証はその日にもらえました。

めでたしめでたし👍

今は実技も学科もあるそうですが当時はなにもありませんでした。

 

皆さまお察しのとおり僕はいつのまにか彼女からmahal ko(マハルコ)と

言われるようになり僕はまだそんな気持ちではなくまだ早いだろうと言っても

そんなのお構いなしに外で普通に抱きついてくるはキスしてくるはで

お客さんやスタッフに見られたらマズイだろと言ってもそんなの関係ないと言い

そんな日々が続いておりましたが帰国する日が近づいてきました。

※mahal ko(マハル コ)とは恋人同士が呼び合うフィリピン特有の呼び方です。

彼女はビザの延長をしろと泣きながら訴えてきて少し考えて

けっきょく僕は延長をする事にし彼女と移民局のオフィスに向いました。

ダバオの時もそうでしたがビザの延長は意外と簡単で通常は申請書を出して

審査に数日かかりますが朝行けば午後には受理されます。

ビザは取得できたけどズッとホテル住まいじゃなぁ野宿でもするかと話したら

彼女は任せろと友だちに電話し僕らは会いに行きました。

ジプニーに乗り着いたところはマカティの大きなコンドミニアム

まさかこんな所に住むんじゃないだろうなぁ日本人がみんな金持ちだと思ったら

大きな間違いだぞと小声で言うと友だちが大丈夫わたしの日本人のパパが

部屋を3つ持っていて一部屋空いているから使ってと言われ案内されると

フルファニチャーで30階以上ある建物で一階には雑貨屋さんやパーラー

オフィスなどがあり2階からは住居フロアで屋上にはジムやプールといかにも

お金持ちが住むような所で家賃はもちろんいらないよという事で

友だちと日本のパパさん?(知らんけど)に感謝し住むことになりました。

ここからフィリピンでの生活が始まりました。

 

ビガンに3泊しマニラに戻ってきました。

バスの疲れもあるし宿も決まっていなかったので観光する元気もなく

とりあえず安くて湯船のあるホテルを探しバックパッカーなどがよく泊まる

ホテルはシャワーしかない事が多いので今回は少し大き目のホテルを何軒かまわり

ようやく値段も手頃で湯船があってお湯も出るホテルがみつかりチェックイン!

振動と音が恐怖のエレベーターを降り部屋に入るとサブッと言いたくなるくらいの

クーラーがこれまた音と振動でとにかく風呂だと湯船にお湯を入れると水?

フロントに聞くとちょっと待っててーと言われ待っているとお湯が出てきたので

ゆっくり浸かりベットで寝て起きたら夜になっていたのでゴハンでも食べようと

外に出ると昼とは全く違う感じでネオンが輝いていてこんな変わるんだぁと

驚いていると友だち友だちと流暢な日本語で話かてくるポン引き兄ちゃん。

どこ行くとか女の子たくさんいるよと言うのでゴハン食べに行くと言うと

ジャパニーズレストランもいっぱいあるよと言うので日本料理じゃなくて

美味しいローカルレストラン教えてと言うとちょっとビックリした後に

嬉しそうにわたしがよく行くお店紹介すると言うので付いていき

道案内してくれたお礼に一緒に食べようと誘うと頷いたので一緒に食べて

いつのまにか女の子も交えてマニラの事やダバオでの出来事を話しました。

食べ終わった後ポン引き兄ちゃんから可愛い女の子たくさんいるお店行こうと言われ

日本でもフィリピンパブは行った事ないしなぁと思いながらも興味が勝ち

ポン引き兄ちゃんの罠にまんまとハマりました・・・という事でイザ入店!

入ると本当に可愛い女の子がズラーといてみんなでいらっしゃいませとすごい活気!

座るとママさんみたいな方が来てお店のシステムを説明してくれ終わると

大きい声でショーアップと言い女の子たちが僕のテーブルの前に立ちアピールタイム

日本で女の子に囲まれるなんて経験なかったので恥ずかしかった事を覚えています。

そしてママさんからどの子がいいかチョイスしろと言われたので日本語が少しでも

話せる子を2人選んで楽しい時間を過ごさせていただきました。

女の子にマニラのガイドしてくれないかとお願いすると一人の子は子どもが風邪で

病院に連れていかなきゃいけないと申しわけなさそうに言いもう一人はOKで

翌日ロビンソンというモールの前で待ち合わせし彼女が来てビックリ!

ノーメイクで普段着の彼女はお店よりか可愛いんです♪

彼女は仕事であまり寝ていないだろうにマニラのいろんな所を案内してくれたり

フィリピンの危ない事を話してくれたり僕をサポートするように歩いてくれたり

最後にはスターシティという遊園地にも連れていってくれこれってデートじゃん!

LOLOや日本のドスケベ紳士様たちがフィリピンにハマる気持ちが

少しわかったような一日でした

バスに揺られること約9時間やってきましたVIGAN(ビガン)

そこはバスで異国に来てしまったのかと錯覚するくらいダバオともマニラとも違う

雰囲気でバスの疲れも吹き飛ばすくらいの素敵空間でした。

LOLOのお嫁さんのお母さんがわたしの故郷は日本人が守ってくれたんだよという

言葉が気になっていたので僕なりに調べたのでここに記します。

1945年アメリカ軍がルソン島に上陸してマニラを奪還。

マニラは空爆により廃墟となりました。
もはや敵の侵入を防ぐ戦力すら失った日本軍は各地の司令官に諸都市を破壊して

山中に撤退しゲリラ戦を展開するよう命令する。

少し時間を戻して1941年。
コルディリェーラ山地を任された高橋大尉はバギオという街で抗日運動に参加した  容疑で投獄された母親の娘フィデラと出会いました。
1943年バギオが戦火にさらされたためビガンに移動したフィデラはビガンに    異動していた大尉と再会しふたりはまもなく恋に落ち結婚して娘をもうける。

 

敗戦が色濃くなった1945年大尉はビガンの破壊と住民殺害の命を受け
日本かビガンか祖国か家族か選択を迫られた大尉は家族をビガンのドイツ人神父に  託し破壊も虐殺もすることなく山中に入って死を決意する。            日本軍撤退後ビガンに迫ったアメリカ軍は爆撃を準備していたが          ビガンの人々は白旗を掲げて日本軍が去ったことを伝えて攻撃中止を嘆願。
アメリカ軍がこれを受け入れたためビガンは破壊から免れ              高橋大尉の部隊は山中で全滅したと伝えられています。

日本人が守った街・・・しかし戦争ってなんなんですかね

よかったらこちらの動画もご覧ください。

フィリピンインディーズ映画 ILIW(イリウ)

フィリピンに住んでいた頃はバイクや車で何度も訪れた僕の大好きな街です。

ちょっとメンドクサイですが飛行機でも近くまで行けるのでお時間あれば

行ってみてください。