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1958年式ポンコツ

歳と共に記憶が曖昧だなぁと感じ記憶が飛ぶ前に綴っていこうとブログをはじめました。
主にフィリピンの事やスーパーカブ・日常がテーマになりますが宜しくお願い致しますm(__)m

バスに揺られること約9時間やってきましたVIGAN(ビガン)

そこはバスで異国に来てしまったのかと錯覚するくらいダバオともマニラとも違う

雰囲気でバスの疲れも吹き飛ばすくらいの素敵空間でした。

LOLOのお嫁さんのお母さんがわたしの故郷は日本人が守ってくれたんだよという

言葉が気になっていたので僕なりに調べたのでここに記します。

1945年アメリカ軍がルソン島に上陸してマニラを奪還。

マニラは空爆により廃墟となりました。
もはや敵の侵入を防ぐ戦力すら失った日本軍は各地の司令官に諸都市を破壊して

山中に撤退しゲリラ戦を展開するよう命令する。

少し時間を戻して1941年。
コルディリェーラ山地を任された高橋大尉はバギオという街で抗日運動に参加した  容疑で投獄された母親の娘フィデラと出会いました。
1943年バギオが戦火にさらされたためビガンに移動したフィデラはビガンに    異動していた大尉と再会しふたりはまもなく恋に落ち結婚して娘をもうける。

 

敗戦が色濃くなった1945年大尉はビガンの破壊と住民殺害の命を受け
日本かビガンか祖国か家族か選択を迫られた大尉は家族をビガンのドイツ人神父に  託し破壊も虐殺もすることなく山中に入って死を決意する。            日本軍撤退後ビガンに迫ったアメリカ軍は爆撃を準備していたが          ビガンの人々は白旗を掲げて日本軍が去ったことを伝えて攻撃中止を嘆願。
アメリカ軍がこれを受け入れたためビガンは破壊から免れ              高橋大尉の部隊は山中で全滅したと伝えられています。

日本人が守った街・・・しかし戦争ってなんなんですかね

よかったらこちらの動画もご覧ください。

フィリピンインディーズ映画 ILIW(イリウ)

フィリピンに住んでいた頃はバイクや車で何度も訪れた僕の大好きな街です。

ちょっとメンドクサイですが飛行機でも近くまで行けるのでお時間あれば

行ってみてください。

マニラの空港には何度も来ていましたが、いつもダバオにいくため

空港からバスに乗って国内線の飛行場に行っていたので僕にとっては

今回が初マニラでした。

日本でいつもお世話になっていた旅行会社にマニラ行きのチケットを予約したら

今回はダバオじゃないんすね?と聞かれたので今回は遊びだよと言ったら

ハマりましたねニヤッとしながらホテルは何泊予約しますか?と聞かれたので

2泊だけであとは自分で探すという事で予約してくれていたホテルに向かうため

タクシーに乗り空港を後にしました。

ダバオとは違うマニラの景色を楽しんでいると歓楽街っぽいところに入っていき

タクシーは止まり着いたよとホテルを指さしたので降りるとそこはもうパラダイス!

まだ明るかったのでネオンは点いていませんでしたが男心をくすぐる看板が並んでいて

旅行会社のヤツのあのニヤッはこういう事だったのかと思いながら

チェックインを済ませ部屋に入ってシャワーをし少し休んで街の散策にでかけました♪

ホテルを出るとヤル気ソノ気な紳士淑女様たちで賑わっており道路の両端には

それらしいお店が建ち並んでいてお店の前を通るたびに声をかけられ少し疲れたので

オープンカフェ風のお店に座ると視線をバチバチ感じて振り向くと女の子たちが

獲物でも狙っているかのようにこちらを見ていました。

彼女たちと少し話し僕はアイスコーヒー彼女たちはジュースを飲んでお別れし

ホテルで翌日のスケジュールを考えていた時LOLOのお嫁さんのお母さんからの

言葉を思い出しビガンという街に行く事にしました。

調べてみたらマニラからバスで約9時間で距離は約400キロ❗

行けるのか俺?💦

 

日本に帰ってきてもモヤモヤのまま仕事をしモヤモヤのままゴハンをいただき

日本の料理はもちろん美味しいのですがゴハンをいただいている時でも

フィリピンの料理を思い出してしまう…

というわけで本日はフィリピンではポピュラーで僕の大好きなフィリピン料理を

いくつか紹介させていただきます.

 Sinigang/シニガン

 フィリピンの国民的料理で肉や野菜の入った

 具だくさんの   酸っぱいスープです。 

 二日酔いの時や体調が悪い時に飲むと楽になる

 魔法のスープなんです。

 

 Sisig/シシッグ

 細かく刻んだ豚肉をしょう油、ビネガー、にんにく、

 唐辛子で炒めた鉄板料理でご飯と一緒に食べても

 ビールの   おつまみとしても最高に美味いんです。 

 

 

 Lechon/レチョン

 フィリピンのお祝い事や行事になくてはならない

 フィリピン料理の王様で豚を丸ごと炭火で焼き上げて

 作られるためパリパリと香ばしい皮と、

 ジューシーな豚肉の食感が楽しめます。 

 

 Karekare/カレカレ

 煮込んだ牛テール肉に   

 ピーナッツバターを入れて

 青梗 菜とキャベツと茄子と

 一 緒に煮込む日本では食べたこと  がないような味です。

 

 Adobo/アドボ

 フィリピンの食卓にはかかせない料理で

 各家庭のこだわりの味付けがありますが一般的には

 豚肉や鶏肉を醤油やビネガーなどで煮込んだ料理です。
 

 

 

まだまだテラピアとかパラボックなど美味しいフィリピン料理はたくさんあります。


Black Eyed Peasのアップルはフィリピンの出身でタガログ語で唄っているので

よかったら見てみてください。

youtu.be

モヤモヤが爆発し気がついたらフィリピン行きのチケットを予約していました!

もう病気でしょ(笑)💦

 

 

LOLOが新居でフィアンセの家族と暮らすようになってから一年。
最初はみんなギクシャクしていましたが流石フレンドリーなフィリピン人

すぐにみんな溶け込みLOLOも車椅子がなくても立てるようになりました。

僕もその間は日本とフィリピンを行ったり来たりでLOLOの生活を見守っていました。

みんなLOLOの事を大切にしてくれているしLOLOも安心して生活できているとうだし

LOLOの口からわたしはここで骨を埋めるつもりだという言葉を聞き

僕はもうお払い箱だなぁと感じたので一旦日本に帰る事にしました。

しかしフィリピンの風景・人・雰囲気・空気・食べ物・常に危険な香りすべてが

好きになってしまっていた僕は俺もこのまま住もうかなぁと思ってしまいましたが

日本でまだやり残している事もあるし…でもなぁとフラフラした気持ちのまま

酷にも帰国日が迫ってきている時みんながサプライズでパーティをしてくれて

パーティにはお世話になったドクターやインターンたちも来てくれて盛り上がり

空港にも家族やインターンも来てくれインターンの子は抱きついて泣いてくれ

最後じゃないからと言いながら僕は帰国しました。

インターンの子に最後じゃないからと言ったが本当に最後じゃなかったんです。

話は飛びますがLOLOの新居も完成し車椅子でも不自由ない作りになっていて

結婚の許可もおりて二人はめでたく夫婦になりましたパチパチパチパチ✨

その頃には僕もLOLOのフィアンセと仲良くなっていたのでズッと思っていた

疑問をフィアンセに聞いてみました。

30年以上前の記憶なので正確ではないですがLOLOの事を本当に愛していて

結婚をしたのかと…彼女の口から出た言葉はフィリピンでは日本人はブランドで

日本人がいれば家族は安泰だからわたしも家族もLOLOの事を大切にすると。

それにLOLOは優しいしLOLOといる時はわたしも幸せです。

だから愛しているとはちょっと違う感覚だけど本当に好きです。

この事はLOLOにも伝えているしLOLOも納得してくれています。

恋愛経験少ないフィリピン一年生の僕にはまだモヤモヤした気持ちもありましたが

お互いが納得してお互いが幸せならそれはそれで最高なんじゃないでしょうか♪

ちなみに心から愛していますをタガログ語で言うと

Mahal kita mula sa puso(マハルキタ ムラ サ プソ)になります。