1958年式ポンコツ -27ページ目

1958年式ポンコツ

歳と共に記憶が曖昧だなぁと感じ記憶が飛ぶ前に綴っていこうとブログをはじめました。
主にフィリピンの事やスーパーカブ・日常がテーマになりますが宜しくお願い致しますm(__)m

マニラの空港には何度も来ていましたが、いつもダバオにいくため

空港からバスに乗って国内線の飛行場に行っていたので僕にとっては

今回が初マニラでした。

日本でいつもお世話になっていた旅行会社にマニラ行きのチケットを予約したら

今回はダバオじゃないんすね?と聞かれたので今回は遊びだよと言ったら

ハマりましたねニヤッとしながらホテルは何泊予約しますか?と聞かれたので

2泊だけであとは自分で探すという事で予約してくれていたホテルに向かうため

タクシーに乗り空港を後にしました。

ダバオとは違うマニラの景色を楽しんでいると歓楽街っぽいところに入っていき

タクシーは止まり着いたよとホテルを指さしたので降りるとそこはもうパラダイス!

まだ明るかったのでネオンは点いていませんでしたが男心をくすぐる看板が並んでいて

旅行会社のヤツのあのニヤッはこういう事だったのかと思いながら

チェックインを済ませ部屋に入ってシャワーをし少し休んで街の散策にでかけました♪

ホテルを出るとヤル気ソノ気な紳士淑女様たちで賑わっており道路の両端には

それらしいお店が建ち並んでいてお店の前を通るたびに声をかけられ少し疲れたので

オープンカフェ風のお店に座ると視線をバチバチ感じて振り向くと女の子たちが

獲物でも狙っているかのようにこちらを見ていました。

彼女たちと少し話し僕はアイスコーヒー彼女たちはジュースを飲んでお別れし

ホテルで翌日のスケジュールを考えていた時LOLOのお嫁さんのお母さんからの

言葉を思い出しビガンという街に行く事にしました。

調べてみたらマニラからバスで約9時間で距離は約400キロ❗

行けるのか俺?💦

 

日本に帰ってきてもモヤモヤのまま仕事をしモヤモヤのままゴハンをいただき

日本の料理はもちろん美味しいのですがゴハンをいただいている時でも

フィリピンの料理を思い出してしまう…

というわけで本日はフィリピンではポピュラーで僕の大好きなフィリピン料理を

いくつか紹介させていただきます.

 Sinigang/シニガン

 フィリピンの国民的料理で肉や野菜の入った

 具だくさんの   酸っぱいスープです。 

 二日酔いの時や体調が悪い時に飲むと楽になる

 魔法のスープなんです。

 

 Sisig/シシッグ

 細かく刻んだ豚肉をしょう油、ビネガー、にんにく、

 唐辛子で炒めた鉄板料理でご飯と一緒に食べても

 ビールの   おつまみとしても最高に美味いんです。 

 

 

 Lechon/レチョン

 フィリピンのお祝い事や行事になくてはならない

 フィリピン料理の王様で豚を丸ごと炭火で焼き上げて

 作られるためパリパリと香ばしい皮と、

 ジューシーな豚肉の食感が楽しめます。 

 

 Karekare/カレカレ

 煮込んだ牛テール肉に   

 ピーナッツバターを入れて

 青梗 菜とキャベツと茄子と

 一 緒に煮込む日本では食べたこと  がないような味です。

 

 Adobo/アドボ

 フィリピンの食卓にはかかせない料理で

 各家庭のこだわりの味付けがありますが一般的には

 豚肉や鶏肉を醤油やビネガーなどで煮込んだ料理です。
 

 

 

まだまだテラピアとかパラボックなど美味しいフィリピン料理はたくさんあります。


Black Eyed Peasのアップルはフィリピンの出身でタガログ語で唄っているので

よかったら見てみてください。

youtu.be

モヤモヤが爆発し気がついたらフィリピン行きのチケットを予約していました!

もう病気でしょ(笑)💦

 

 

LOLOが新居でフィアンセの家族と暮らすようになってから一年。
最初はみんなギクシャクしていましたが流石フレンドリーなフィリピン人

すぐにみんな溶け込みLOLOも車椅子がなくても立てるようになりました。

僕もその間は日本とフィリピンを行ったり来たりでLOLOの生活を見守っていました。

みんなLOLOの事を大切にしてくれているしLOLOも安心して生活できているとうだし

LOLOの口からわたしはここで骨を埋めるつもりだという言葉を聞き

僕はもうお払い箱だなぁと感じたので一旦日本に帰る事にしました。

しかしフィリピンの風景・人・雰囲気・空気・食べ物・常に危険な香りすべてが

好きになってしまっていた僕は俺もこのまま住もうかなぁと思ってしまいましたが

日本でまだやり残している事もあるし…でもなぁとフラフラした気持ちのまま

酷にも帰国日が迫ってきている時みんながサプライズでパーティをしてくれて

パーティにはお世話になったドクターやインターンたちも来てくれて盛り上がり

空港にも家族やインターンも来てくれインターンの子は抱きついて泣いてくれ

最後じゃないからと言いながら僕は帰国しました。

インターンの子に最後じゃないからと言ったが本当に最後じゃなかったんです。

話は飛びますがLOLOの新居も完成し車椅子でも不自由ない作りになっていて

結婚の許可もおりて二人はめでたく夫婦になりましたパチパチパチパチ✨

その頃には僕もLOLOのフィアンセと仲良くなっていたのでズッと思っていた

疑問をフィアンセに聞いてみました。

30年以上前の記憶なので正確ではないですがLOLOの事を本当に愛していて

結婚をしたのかと…彼女の口から出た言葉はフィリピンでは日本人はブランドで

日本人がいれば家族は安泰だからわたしも家族もLOLOの事を大切にすると。

それにLOLOは優しいしLOLOといる時はわたしも幸せです。

だから愛しているとはちょっと違う感覚だけど本当に好きです。

この事はLOLOにも伝えているしLOLOも納得してくれています。

恋愛経験少ないフィリピン一年生の僕にはまだモヤモヤした気持ちもありましたが

お互いが納得してお互いが幸せならそれはそれで最高なんじゃないでしょうか♪

ちなみに心から愛していますをタガログ語で言うと

Mahal kita mula sa puso(マハルキタ ムラ サ プソ)になります。

そうなんです移動中なにが楽しいかってそれはフィリピンの乗物なんです。

それは日本にはない乗物でジプニーやトライシケという乗り物です。
はじめはLOLOのフィアンセやインターンの子たちと乗りましたが

慣れたら一人で乗るのが楽しくてどこに行くにもジプニーでした♪

ジプニーは元々戦後アメリカ軍が残したジープを改造して作られたもので

オーナーが自分好みにカスタムした外観とカラフルな装飾が特徴で

バスのように乗客を運ぶフィリピンではもっともポピュラーな公共交通手段です。

停留所があるところもありますが手をあげれば停まってくれるし好きな場所で

降りる事も出来ます。

降りる時はPara(パラー)と声をかけたりボディのどこかをノックしたり写真のように

天井に紐があるので引っぱるとドライバーに伝わり適切な場所で停車してくれます。

そのかわり多くのジプニーのタイヤはツルツルなのでパンクや故障も多いのですが

当時の運賃がたしか2ペソ(4円)くらいでしたから文句は言えません(笑)

そしてもうひとつ庶民の足といえばトライシクルでトライシクルは小排気量のバイクに

サイドカーみたいが付いた歩くのが嫌いなフィリピン人には便利な乗り物です。

でも大な好きジプニーも時代の流れには逆らえず・・・悲しい(TT)