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1958年式ポンコツ

歳と共に記憶が曖昧だなぁと感じ記憶が飛ぶ前に綴っていこうとブログをはじめました。
主にフィリピンの事やスーパーカブ・日常がテーマになりますが宜しくお願い致しますm(__)m

女の子は当然ですがまだ不安と悲しみでいっぱいでしたがジョリビーと彼女のおかげで少しづつ話してくれるようになったのでまずは女の子の住むところを考えねばと

彼女そして僕とポリスでこれからどうするかを話し合いをしました。

その時の僕の現状は昨日のブログでも記したようにチュウブラリンの生活だったので

・彼女の家

コンドミニアム

この2択しかなかったのですがコンドミニアムはいつ出されるかという不安もあり

彼女の家にはお父さんお母さんもいるし子どもたちのいるので女の子にとっては

一番いいのではないかという結論になりました。

もちろん彼女の家は狭くみんな寝るとパンパンなので僕がコンドミニアムに戻れば

女の子が生活できるスペースは確保できるという事で女の子にも話し

女の子も頷いてくれたので一緒に彼女の家に向いました。

しかしお母さんから実はねぇ昨日わかったんだけどお兄さんの奥さんが妊娠六か月だと

めでたいんだか!タイミング悪いのか!いやめでたいのですが振り出しに戻りました。

そこで考えたのですがコンドミニアムはいつ出されるかわからない不安もあるし

ガイドの仕事もコスプレも順調だし今がチュウブラリンを脱する良いチャンスかも

しれないと思い家を探す事にしました!

LOLOの家を探す時にいろいろ経験したので交渉の時には日本人の僕がすると金額が

日本人プライスで上乗せされるので彼女のお父さんかポリスに頼みました。

何件か見にいき頼りなさそうだけど門のところに24時間セキュリティガードがいて

庭とガレージがあってビレッジ内に子どもが遊べる公園もある家に決めました。

ってかポリスの取り計らいで破格値で買えたのが一番の決め手です。

コンドミニアムから引っ越し家具やら電化製品を購入し正直予算オーバー💦

俺だけだったらベットとパソコンデスクとソファーがあれば何もいらないのにと

頭の中でブツクサ言いながらも

あとは女の子が少しづつでも傷ついた心を癒し安心して暮らせるようなれればと

思う日々でした。

久しぶりにポリスと再会した僕は今回の件と空港で声をかけてくれた事に感謝し

今までの経緯などを話しポリスもニコニコしながら聞いていたのですが

でもなぁお前は日本人なんだからああいう場面に遭遇してもできるだけ避けないと

どんなトラブルに遭うかわからないし危険だから気をつけろとポリスが言うと

続けて実はと話しだしあのシ〇ブ中のお父さんは当然刑務所に入り

女の子のお母さんは数年前に逃げて探したが行方が分からないとの事。

そうなると女の子は施設に入るかストリートチルドレンになるしかないんだよと。

ストリートチルドレンとは家庭や保護者の支援を受けずに路上で生活する

子どもたちの事をいい彼らは貧困・家庭の問題・暴力などのさまざまな理由で

家を離れ日々の生活を路上で送るようになったケースが多いです。

ストリートチルドレンは学校に通えなかったり日常的に栄養不足に陥ったり

犯罪や虐待のリスクが高まるなど困難な環境にさらされています。

だからこれも何かの縁だしお前が引き取ってみないかと・・・

いやいや何言ってんだこのオッサンそんな簡単じゃねぇだろと思いましたが

実際女の子は可哀想だし何か手助けできる事があればしてあげたいですが

現状は今は彼女の家に居候だしコンドミニアムもいつまでもいれるかわからないし

正直チュウブラリンの状態だし女の子は日本人の僕が突然現れたら恐がると思うと

ポリスに言うとポリスも頷きながらそうだよなぁと言いながらも諦められない様子で

今度連れてくるから会うだけ会ってくれないかという事で後日会いました。

辛い経験をした女の子は心を閉ざしているかもわからないし傷ついているだろう

女の子にどう接すればいいかわからず悩みましたが自然のままでいようと決めました。

会うとやはり女の子はビクビクしていて今にも逃げ出しそうだったので彼女が察し

お腹空いてない?

ジョリビー行こうかと言うと女の子も小さく頷きジョリビーに向いました。

ジョリビー(Jollibee)はフィリピン発祥のファストフードチェーンで

1978年にマニラで創業され現在ではフィリピン国内だけでなくアジアや

中東・北米・ヨーロッパなどに多数の店舗を展開しています。

ジョリビーは「ハッピービー(Happy Bee)」というマスコットキャラクターでも

知られ特にフィリピンの文化に深く根付いたファストフード店として地元の人々から

親しまれ子どもたちから愛されています。

店内に入り席に座り彼女がオーダーをしにカウンターに行くと女の子は泣きだし

わけのわからない僕はアタフタしていたら彼女が戻ってきて女の子を宥めました。

ジョリビーは女の子にとって憧れのお店で感動して泣いてしまったそうです。

一泊でしたが彼女とその家族そして近所のフレンドリーな方たちとの交流で

自分の中の悪い虫が騒ぎ出しもっとリアルなフィリピンを見たいと思ってしまい

彼女に話すと大喜びしてくれてお父さんお母さんも喜んでくれて

僕としては数日間のつもりだったのですが住めば都とはよくいったもんで

数日後には貧困地区での生活も慣れてしまい約半年間お世話になりました。

もちろんガイドの仕事もあったのでコンドミニアムはオフィスとして使い

仕事の時だけ通っていました。

半年間住んでいるといろんな事が起きたので記憶に残っている話をいくつか

ピックアップして記しておきます。

1 コンバース事件

普段はビーサンで生活していたのですが仕事に行く時は靴を履いていきます。

その日も早朝から仕事だったので起きてスニーカーを履こうと持ったら重い?!

子どもたちがいたずらでオモチャでも入れたかと手を入れたらムニュ?!

コンバースの中にネズミの赤ちゃんが!!!(笑)💦

2 コスプレ

歩いているとミシンのような音が聞こえ覗いてみるとおばちゃんがミシンで

バロンタガログ(Baro ng Tagalog)を器用に縫っていました。

バロンタガログ(Baro ng Tagalog)とはフィリピンの正装で素材はパイナップルの  葉やバナナ繊維を利用して製造されていて薄くポケットがないのは武器を持っていない事を示すためだそうです。

帰って彼女に話すとお母さんの知り合いだと言うので僕もこれから着る機会もあるから

作ってもらおうかなぁと言ったらお母さんが早速連れていってくれオーダーしました。

お母さんが技術があるのに最近は作る人も少なく仕事がないと呟いていました。

これだけの技術があるのにもったいないと思った僕は何か仕事に結びつけないかと  

考え調べていたら当時はコスプレブームだったのでこっちで作って某オクに出せば

売れるんじゃないかと思いオバチャンに相談したらやってみたいとノリ気でした。

しかしここで問題が発生しました。

僕自身が漫画をあまり読まないしアニメやコスプレの世界の事をまったく知らない💦
そこで今なにが流行っているのかこれから何が流行るのかニーズは何を求めている

のかリサーチしてオバチャンに伝えるとコピーした画を元に作ってくれました。

出来上がりは素晴らしいものでさっそく写真を撮って出品しました。

金額はオバチャンたちの給料+生地や小物類そして少しの手間賃と送料で  

安く設定したら自分の目を疑いたくなるくらい日に日に入札が上がっていって  

落札価格に驚きでした。

その後もバンバン売れリピーターまで出てくるようになりオバチャンも大喜びでした。

3 虐待

この話は記そうか迷ったのですが僕のこれからの生活に関わる大切な事なので

記します。

ある日の夜にお母さんに買い物を頼まれてsarisaristore(サリサリストア)に行ったら

sarisaristore(サリサリストア)とはフィリピンだったらどこにもある小さな雑貨屋さん

コンビニみたいなお店です

近所のおっちゃんたちが飲んでいたので僕も一杯だけいただき帰ろうとすると

女の子のわめくような泣き声が聞こえたので声のする方へ近づいてみると

おっさんが下半身丸裸で女の子に襲いかかっていたのでおっさんを突き放し

おっさんはヘロヘロで話が通じず困っていたら騒ぎを聞きつけたのかポリスが来て

事情を説明するも日本人とわかると突き飛ばして怪我をさせた僕が悪いとなり

刑務所に入るかお金で決着をつけるかどっちにすると小声でボソッと言ってきたので

ちょっと待っててと言い空港で珈琲を奢ってくれたポリスに電話をし事情を話すと

怒ったようにそのポリスに代れと言うので代わり話し終わるとそのポリスは謝ってきて

珈琲を奢ってくれたポリスも謝ってくれ今度そっちに行くから会おうと約束し

僕はお母さんに頼まれた買い物を持って帰りました。

 

※空港で珈琲を奢ってくれたポリスの読んでいない方はこちらからどうぞ

けっきょく女の子に襲いかかっていたのは女の子の父親で

シ〇ブと酒でおかしくなり犯行に及んだという事です。

ポリスと久しぶりに会って僕の生活に変化がありました。

泊まっていけと言われてもどこに寝るの?ってくらい部屋は狭いのに

一階はお父さんお母さんと長男夫婦で二階は子どもたちと妹そして僕と彼女で

あ~ら不思議川の字で寝るとピッタリ収まるじゃないですか。

それにしても窓は開いていても風は入ってこないで虫ばかりが入ってきて暑い!

みんなが寝静まったころ僕もようやく寝れそうになったとき頭の上でガサガサと?

何かと見てみたら子どもたちが食べ残したお菓子にネズミ!
これじゃまるでウルルン滞在記じゃないか!

結局その日は眠れず朝を迎えお母さんが出してくれた珈琲を飲んでいたら

お兄さんの子どもに海に行こうと誘われ近所の子どもたちと行ってきました。

帰ってきてみんなで朝ごはんを食べ昨日できなかったご近所散策にでかけました。

歩いているとこんなところに日本人がいるのが珍しいのか声をかけてくれる人も多く

なかにはKain na tayo(カイン ナ タヨ)とゴハンを誘ってくれる方もいて

「Kain na tayo」とはタガログ語で「食べましょう」という意味で一緒に食べようと声をかけるときに使います。

こういうフレンドリーなところもフィリピンを好きになった一つです。

そうこうしているうちにPalengke(パレンケ)に着いたので食材を買い

「Palengke」とはタガログ語で市場です。

お昼になっていたのでパレンケの食堂でゴハンを食べました。

彼女からあなたはこんなところのゴハンでも大丈夫なの?お腹痛くならない?

日本人ならジャパニーズレストランに行くでしょと聞かれたので

日本にはWhen in a foreign land, follow the local customs(郷に入れば郷に従え)

ということわざがあってフィリピンと日本では風習や習慣など違うでしょ

でも僕は今フィリピンにお世話になっているからフィリピンの風習や習慣などを

尊重して合わせれば自然と慣れてくると思うんだよねと言うと

あなたは他の日本人と違うねとニコニコしていました。

フィリピンで高級ブランドを身につけて見せびらかしたい気持ちもわかりますが

とても危険ですよ。

生活も仕事も安定してきてそろそろ移住の事を本気で考えないとなぁと

思っていた時に彼女のお父さんが病気になり彼女と二人で家に行きました。

ご両親には以前お会いして食事をした事があるのですが家に行くのは初めてで

大通りから路地に入ると正直すごい所に住んでいるなぁという印象でした。

そこは所謂スクワッターエリア(貧困地区)というところで

これがよくいうフィリピンの3K(臭い・汚い・危険)かと思いました。

家に着くと彼女の家はコンクリートとトタンのシンプルな2階建てで

そこにお父さんお母さん彼女のお兄さん夫婦と子ども2人そして彼女の妹1人。

一応流しはありますが料理と洗濯は外でトイレとシャワーは階段の下にあります。

お父さんの病気は胆石で病院行って少し休んだらだいぶ楽になったそうで

夜はお母さんの手料理でごはんを食べ少しお酒も飲んで和気藹々のムードのなか

お母さんから娘ともっと話したいし今日はもう遅いし泊まっていけと言われ

僕もこういう雰囲気好きだしフィリピンに移住するなら本当のフィリピンの生活を

体験してみたいと思いお言葉に甘えて泊めさせてもらう事にしました。

ウルルン滞在記のようなシチュエーションが待ち構えているとは知らずに