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1958年式ポンコツ

歳と共に記憶が曖昧だなぁと感じ記憶が飛ぶ前に綴っていこうとブログをはじめました。
主にフィリピンの事やスーパーカブ・日常がテーマになりますが宜しくお願い致しますm(__)m

こどもが二人増えた事で生活費がかさむだろうなぁと思っていましたが

元々ジェニーも彼女や二人の兄弟もスクワッターエリア(貧困地区)育ちだし

僕も約半年間お世話になったので彼女がやりくりをしてくれたおかげで

以前の生活費とかわらないくらで暮らせていました。

今回はそんなお金の事を少し記していこうと思います。

1000フィリピンペソの裏に描かれた棚田はルソン島北部イフガオ州にあり

天への階段とも称されています。

1995年には世界文化遺産にも登録され2000年以上前にイフガオ族が神への

捧げものとして造ったとされ文化と共に守り継がれてきたところです。             

そして紙幣表に描かれている3人の方は第二次大戦時に日本軍によって処刑された

人たちで1000ペソ札の左上の男性はホセ・アバド・サントスという人で

当時の最高裁長官をしており大戦中は日本軍が支配していない地域の最高責任者の

位置にありましたが日本軍に逮捕され日本軍から『日本軍に協力すれば処刑しない』

と言われたものの拒否し処刑されています。

1000ペソ札下の女性はジョセファ・エスコバという人で彼女は教育者で

ガールスカウトを創設し活躍していたのですが夫とほぼ同じ年に日本軍に逮捕され

サンチャゴ要塞に収監され1944年にマニラ中国人墓地で銃殺刑にされており

埋葬場所は現在もわからないということです。

1000ペソ札の右上の人はヴィセンテ・リムという中国系の人ですが

フィリピン人としては初めてアメリカのウェストポイント士官学校を卒業した人で

同じく日本軍によって処刑されています。 

こうした3人の日本軍の手で処刑されていった方が一番大きな金額の紙幣に

載っている事実を見ても『フィリピンは第二次大戦時の日本軍占領を永久に

忘れない』という強い意志を感じます。                                          

     しかしこんな事が過去にあったとしてもお年寄りから子どもたちまで友好的で
    いつもあたたかく出迎え接してくれる比国人に改めて感謝な気持ちになります。                                                     

ある日ポリスから後で行ってもいいかという電話があり待っていると

ポリスが男の子と女の子を連れてきて実はこの子たちも身寄りのない子でと話しだし

ピンときた僕は彼女にジェニーとポリスが連れてきた子どもたちにお使いを頼み

ポリスの話を聞くと子どもたちの親はある事件で犯罪に手を染め亡くなったという事で

路頭に迷っていた子どもをポリスが保護しウチにはジェニーもいるし落ち着くまで

預かってくれないかという事でした。

ウチには縁で繋がったジェニーがいて本当の親子のように接し幸せに暮らしているし

そもそも彼女とジェニーとも相談しないと僕だけでは決断できない。

いろいろ考えていると買い物のあと公園に行っていたと彼女たちが帰ってきた姿は

まるで兄弟のように手を繋いで帰ってきて彼女に聞いてみると公園でジェニーが

男の子と女の子に自分の過去の事を話しだし自分も同じような境遇だけど

今はダディとマミーがいてとても幸せだから一緒に住もうと言ってくれたそうです。

こっちが悩んでいる時に既に決まっていたのかーい!💦

ジェニーは事情を知らないはずなのに子どもたちには何か通ずるものがあったのかも

しれません。

という事でガンマを手に入れた僕は毎日ウキウキで走り回っていたのですが

ジェニーと彼女は一緒に遊びに行けないとか後ろに乗せてもお尻が痛いとか

恐いとかご機嫌斜めでしかたなく車でドライブに誘うと機嫌もよくなって

タガイタイまで遊びに行き一日遊んで楽しい時間をみんなで共有して過ごしました。

タガイタイとはこんな所です

 

帰りにまたガンマの話になり彼女がバイク屋さん寄ってみようかと言いだし

近くのバイク屋さんに行くと彼女がこれなら3人で乗れそうと指さしたのが

ビッグスクーターで僕はスクーターにはまったく興味がなかったのと

製造国が中華っていうのも良いイメージがなく

あまりノリ気ではなかったのですが彼女とジェニーおまけに店員までもが

大プッシュしてくるのでお金ないしなぁと言うとガンマを売ればいいと言われ

それだけは勘弁と生活費も乏しい身分なのに買っちゃいましたビッグスクーター

整備点検をし納車の日はマニラで仕事だったのでそのまま引き取ってマニラに行き

帰りはもう夜になってしまったので急いで帰ろうと思い走らせていると

対向車がパッシングとクラクション鳴らしてなにやら騒いでいるので気になって

自分の周りを見てみると煙?急いで停めて見てみるとシートの下から

煙が出ているのでシートを上げたら炎が!!!

近所の方々がバケツリレーをしてくれたおかげで僕は無事でしたが

タクシーで帰った僕を見て彼女はキョトンとし事情を説明すると泣き崩れ

と思ったら怒りがこみあげてきたのか翌日バイク屋さんに行き怒鳴り散らかし

僕が何とか宥めてスクーターを引き上げさせ原因はバッテリー引火でした。

納車一日で燃えつき本来なら慰謝料含め全額返済してほしいところですが

お店にもいろいろ事情があるようで全額返済はできないけどこれで勘弁してほしいと

差し出してきたのがYAMAHA X1というバイクでお店がカスタムした車両でした。

このYAMAHA X1はちょっとそこまでからロングツーリングまでこなしてくれて

彼女は三人乗れないと呟いていましたがジェニーはこれで学校連れてってと喜び

家族の足になりました。

今思うと僕にとって初めてのカブで横型エンジンだったのです。

ジェニーとの生活も安定してきて僕も少し自由な時間ができたので

みんなと一緒に食事をしている時にそろそろバイク乗りたいなぁとボソッと言ったら

彼女から危険だから絶対ダメと即答され却下されたのですがどうしても乗りたかった

僕はなだめすかしながら説得しても危険だからと首を縦に降ってくれませんでした。

危険だと反対する気持ちもわかるんです。

当時のフィリピンの道路は金魚が飼えるんじゃないかと思うくらい道路事情は悪く

車だったらバーストするかパンクで済みますがバイクで突っ込んだら・・・💦

そんな時タイミングよく(悪く?)僕がバイク好きというのを知っているポリスが来て

知り合いが日本製のバイクを持っててお前に見せたいと言っているんだけど行くか?

もちろんとウキウキしながら行くとそこにはなんと僕が一度乗りたかったバイクが!

suzuki RGV250Γ(ガンマ)
フィリピンでお目にかかれるとは思っていなかった僕は興奮してさっそく試乗・・・

あれ?

エンジンはかかるけどキャブだめじゃん💦

オーナーは言い値でいいから持っていってくれと言うので角の生えた彼女の顔を

想像しながら日本では考えられない値段で引き取りました。

とはいえ僕もメカ音痴なのでバイク屋に取りにきてもらい純正のパーツはないから

その辺にころがっている合いそうなパーツで組んでいい?と言うので

もちろん走ればなんでもいいと言うと作業が始まり合うパーツが一つないようで

探して作業しておくから明日取りに来いというのでその日は彼女の鬼の形相を

思い浮かべながら家に帰りました。

家に着いて彼女にありのまま話すと最初は怒っていましたが段々に機嫌もなおり

そのバイクは二人乗りできるのかとか二人でどこか行きたいとか言ってくれホッ

翌日引き取りに行くと直っており心地よい2ストサウンドが響いていました🎵

心地よいサウンドと走りに酔いしれながら寄り道して帰ると彼女とジェニーが

二人乗りできないじゃんと・・・

いや申しわけないほどの立派なタンデムシートはあるんです💦

女の子の名前はジェニーといいます。

一緒に住み始めた頃は父親との辛い思い出があり悲しい顔をしていましたが

休みの日は一緒に公園や買い物に出かけジェニーの大好きなジョリビーでランチをし

いつのまにか近所の子どもたちとも遊ぶようになり少しづつですが笑顔もみせてくれ

ジェニーに学校行くか?と聞いたら頷いたので近所の学校に通い始めました。

家の斜め前のサリサリストアの奥さんは元日本に何回も行ったタレントさんで

日本語もペラペラで僕と彼女が学校の送迎ができない時は奥さんが行ってくれたり

ジェニーが外で遊んでいる時はいつも見守ってくれていたりお菓子をくれたり

他の近所の方たちも優しく接してくれジェニーの過去に負った心の傷も癒えていき

子どもの元気さを取り戻しました。

一緒に生活して数カ月が過ぎ僕の誕生日を近所の方たちが祝ってくれて

ジェニーが恥ずかしそうにダディハッピーバースディと言ってくれました。

はじめてダディと呼ばれて涙がでるほど感動しました。

この子を絶対守ると誓って十数年いまではジェニーもお母さん😊