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1958年式ポンコツ

歳と共に記憶が曖昧だなぁと感じ記憶が飛ぶ前に綴っていこうとブログをはじめました。
主にフィリピンの事やスーパーカブ・日常がテーマになりますが宜しくお願い致しますm(__)m

ある日ポリスから後で行ってもいいかという電話があり待っていると

ポリスが男の子と女の子を連れてきて実はこの子たちも身寄りのない子でと話しだし

ピンときた僕は彼女にジェニーとポリスが連れてきた子どもたちにお使いを頼み

ポリスの話を聞くと子どもたちの親はある事件で犯罪に手を染め亡くなったという事で

路頭に迷っていた子どもをポリスが保護しウチにはジェニーもいるし落ち着くまで

預かってくれないかという事でした。

ウチには縁で繋がったジェニーがいて本当の親子のように接し幸せに暮らしているし

そもそも彼女とジェニーとも相談しないと僕だけでは決断できない。

いろいろ考えていると買い物のあと公園に行っていたと彼女たちが帰ってきた姿は

まるで兄弟のように手を繋いで帰ってきて彼女に聞いてみると公園でジェニーが

男の子と女の子に自分の過去の事を話しだし自分も同じような境遇だけど

今はダディとマミーがいてとても幸せだから一緒に住もうと言ってくれたそうです。

こっちが悩んでいる時に既に決まっていたのかーい!💦

ジェニーは事情を知らないはずなのに子どもたちには何か通ずるものがあったのかも

しれません。

という事でガンマを手に入れた僕は毎日ウキウキで走り回っていたのですが

ジェニーと彼女は一緒に遊びに行けないとか後ろに乗せてもお尻が痛いとか

恐いとかご機嫌斜めでしかたなく車でドライブに誘うと機嫌もよくなって

タガイタイまで遊びに行き一日遊んで楽しい時間をみんなで共有して過ごしました。

タガイタイとはこんな所です

 

帰りにまたガンマの話になり彼女がバイク屋さん寄ってみようかと言いだし

近くのバイク屋さんに行くと彼女がこれなら3人で乗れそうと指さしたのが

ビッグスクーターで僕はスクーターにはまったく興味がなかったのと

製造国が中華っていうのも良いイメージがなく

あまりノリ気ではなかったのですが彼女とジェニーおまけに店員までもが

大プッシュしてくるのでお金ないしなぁと言うとガンマを売ればいいと言われ

それだけは勘弁と生活費も乏しい身分なのに買っちゃいましたビッグスクーター

整備点検をし納車の日はマニラで仕事だったのでそのまま引き取ってマニラに行き

帰りはもう夜になってしまったので急いで帰ろうと思い走らせていると

対向車がパッシングとクラクション鳴らしてなにやら騒いでいるので気になって

自分の周りを見てみると煙?急いで停めて見てみるとシートの下から

煙が出ているのでシートを上げたら炎が!!!

近所の方々がバケツリレーをしてくれたおかげで僕は無事でしたが

タクシーで帰った僕を見て彼女はキョトンとし事情を説明すると泣き崩れ

と思ったら怒りがこみあげてきたのか翌日バイク屋さんに行き怒鳴り散らかし

僕が何とか宥めてスクーターを引き上げさせ原因はバッテリー引火でした。

納車一日で燃えつき本来なら慰謝料含め全額返済してほしいところですが

お店にもいろいろ事情があるようで全額返済はできないけどこれで勘弁してほしいと

差し出してきたのがYAMAHA X1というバイクでお店がカスタムした車両でした。

このYAMAHA X1はちょっとそこまでからロングツーリングまでこなしてくれて

彼女は三人乗れないと呟いていましたがジェニーはこれで学校連れてってと喜び

家族の足になりました。

今思うと僕にとって初めてのカブで横型エンジンだったのです。

ジェニーとの生活も安定してきて僕も少し自由な時間ができたので

みんなと一緒に食事をしている時にそろそろバイク乗りたいなぁとボソッと言ったら

彼女から危険だから絶対ダメと即答され却下されたのですがどうしても乗りたかった

僕はなだめすかしながら説得しても危険だからと首を縦に降ってくれませんでした。

危険だと反対する気持ちもわかるんです。

当時のフィリピンの道路は金魚が飼えるんじゃないかと思うくらい道路事情は悪く

車だったらバーストするかパンクで済みますがバイクで突っ込んだら・・・💦

そんな時タイミングよく(悪く?)僕がバイク好きというのを知っているポリスが来て

知り合いが日本製のバイクを持っててお前に見せたいと言っているんだけど行くか?

もちろんとウキウキしながら行くとそこにはなんと僕が一度乗りたかったバイクが!

suzuki RGV250Γ(ガンマ)
フィリピンでお目にかかれるとは思っていなかった僕は興奮してさっそく試乗・・・

あれ?

エンジンはかかるけどキャブだめじゃん💦

オーナーは言い値でいいから持っていってくれと言うので角の生えた彼女の顔を

想像しながら日本では考えられない値段で引き取りました。

とはいえ僕もメカ音痴なのでバイク屋に取りにきてもらい純正のパーツはないから

その辺にころがっている合いそうなパーツで組んでいい?と言うので

もちろん走ればなんでもいいと言うと作業が始まり合うパーツが一つないようで

探して作業しておくから明日取りに来いというのでその日は彼女の鬼の形相を

思い浮かべながら家に帰りました。

家に着いて彼女にありのまま話すと最初は怒っていましたが段々に機嫌もなおり

そのバイクは二人乗りできるのかとか二人でどこか行きたいとか言ってくれホッ

翌日引き取りに行くと直っており心地よい2ストサウンドが響いていました🎵

心地よいサウンドと走りに酔いしれながら寄り道して帰ると彼女とジェニーが

二人乗りできないじゃんと・・・

いや申しわけないほどの立派なタンデムシートはあるんです💦

女の子の名前はジェニーといいます。

一緒に住み始めた頃は父親との辛い思い出があり悲しい顔をしていましたが

休みの日は一緒に公園や買い物に出かけジェニーの大好きなジョリビーでランチをし

いつのまにか近所の子どもたちとも遊ぶようになり少しづつですが笑顔もみせてくれ

ジェニーに学校行くか?と聞いたら頷いたので近所の学校に通い始めました。

家の斜め前のサリサリストアの奥さんは元日本に何回も行ったタレントさんで

日本語もペラペラで僕と彼女が学校の送迎ができない時は奥さんが行ってくれたり

ジェニーが外で遊んでいる時はいつも見守ってくれていたりお菓子をくれたり

他の近所の方たちも優しく接してくれジェニーの過去に負った心の傷も癒えていき

子どもの元気さを取り戻しました。

一緒に生活して数カ月が過ぎ僕の誕生日を近所の方たちが祝ってくれて

ジェニーが恥ずかしそうにダディハッピーバースディと言ってくれました。

はじめてダディと呼ばれて涙がでるほど感動しました。

この子を絶対守ると誓って十数年いまではジェニーもお母さん😊

女の子は当然ですがまだ不安と悲しみでいっぱいでしたがジョリビーと彼女のおかげで少しづつ話してくれるようになったのでまずは女の子の住むところを考えねばと

彼女そして僕とポリスでこれからどうするかを話し合いをしました。

その時の僕の現状は昨日のブログでも記したようにチュウブラリンの生活だったので

・彼女の家

コンドミニアム

この2択しかなかったのですがコンドミニアムはいつ出されるかという不安もあり

彼女の家にはお父さんお母さんもいるし子どもたちのいるので女の子にとっては

一番いいのではないかという結論になりました。

もちろん彼女の家は狭くみんな寝るとパンパンなので僕がコンドミニアムに戻れば

女の子が生活できるスペースは確保できるという事で女の子にも話し

女の子も頷いてくれたので一緒に彼女の家に向いました。

しかしお母さんから実はねぇ昨日わかったんだけどお兄さんの奥さんが妊娠六か月だと

めでたいんだか!タイミング悪いのか!いやめでたいのですが振り出しに戻りました。

そこで考えたのですがコンドミニアムはいつ出されるかわからない不安もあるし

ガイドの仕事もコスプレも順調だし今がチュウブラリンを脱する良いチャンスかも

しれないと思い家を探す事にしました!

LOLOの家を探す時にいろいろ経験したので交渉の時には日本人の僕がすると金額が

日本人プライスで上乗せされるので彼女のお父さんかポリスに頼みました。

何件か見にいき頼りなさそうだけど門のところに24時間セキュリティガードがいて

庭とガレージがあってビレッジ内に子どもが遊べる公園もある家に決めました。

ってかポリスの取り計らいで破格値で買えたのが一番の決め手です。

コンドミニアムから引っ越し家具やら電化製品を購入し正直予算オーバー💦

俺だけだったらベットとパソコンデスクとソファーがあれば何もいらないのにと

頭の中でブツクサ言いながらも

あとは女の子が少しづつでも傷ついた心を癒し安心して暮らせるようなれればと

思う日々でした。