リコちゃんリタさん | 勇気づけの嵐c6217139-08

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勇気づけの嵐

 

 

<日替り記事>

 

【音楽遍(偏・変)歴・ブルース編・7】

 

前回、ブルースマンの来日について書きましたが、他に日本でライブを楽しんだブルースマンを挙げておきましょう。

アルバート・キングジョン・リー・フッカーライトニン・ホプキンスマディ・ウォーターズエディ・テイラーエディ・ヴィンソン、ピーウィー・クレイトンオーティス・ラッシュレイ・チャールズB.B.キング


ハニーボーイ・エドワーズと一緒だったサニーランド・スリムの方は房之助さんのいるブレイクダウンがバックを務めました。

名古屋圏以外でも観ています。

東京ではジミー・ウィザースプーン、ボビー・ブランドクラレンス・ゲイトマウス・ブラウンアルバート・コリンズロウエル・フルソンリトル・ミルトン

 

尾道旅行の折、福山でマジック・スリム

 

大物の活躍に間に合ったのは幸いで、いずれも感慨深かったのですが、中にはびっくりエピソードも。

 

アルバート・キングは演奏中、腕時計をチラチラ見ていて、早く終わって遊びに行きたかったんでしょうか。

 

エディー・テイラーは、ビザが発給されず来日出来なくなったフェントン・ロビンソンのピンチ・ヒッターでした。

 

中止にならなくて良かったと喜んで出かけたのですが、バックのエイシズとそりが合わなかったのか、ルイス・マイヤーズとギターソロを張り合ったり、端っこの方でふてくされたりしてました。

 

ベース、デイブ・マイヤーズの困惑表情に同情しきりでした。

 

一方、ボビー・ブランドが唄った「リンゴ追分」にはどよめきが起りましたね。

 

進駐軍で日本に来ていた時に聴いた、美空ひばりさんのこの曲を、いたく気に入っていたそうです。
 

いずれにしても、人間臭さ丸出しのコンサートの数々、面白かったです。

 

(続く)

 

 

<シリーズ・自由研究ノート>

 

 

【お断り】

 

本シリーズでは、今までのキーワードシリーズと異なり極私的見解が多く含まれて来ますし、にわか学習による誤認もあり得ます。

 

なので、アドラー心理学についても触れている、色メガネを通して書いたエッセイとお読み取り頂ければ有難いと思う次第です。

 

 

【勇気づけの嵐・26】

 

10)怪物くん/主演:大野智

 

主人公は、父親の大王の命令で人間界にやって来た怪物界のプリンス・怪物くん。

 

お供はドラキュラ、オオカミ男、フランケンの3人。

 

ひょんなことから出合った人間の姉弟(ウタコとヒロシ)と交流を深めながら、怪物くんは次第に「大切な人を守る。」という次期大王としての自覚に目覚めていく。

 

舞台で見られる様な、声を張り上げての大野さんの熱演――第4回「オトシヨリサイコー」には泣けます。

 

未熟な王子とは言え、オトシヨリに共感ができていたら救えた命ですから、悔しいですよね。

 

この様に毎回学びが多く、怪物くんが成長していく様も面白く、「教育の要素あり。」と大野さんに言わしめてます。

 

最終回では、元人間で、自殺する時にデモキンによって悪魔にされたデモリーナが

 

「私は自分を裏切った人間が許せなかった。己の欲のために他人を平気で犠牲にする人間から逃れたい。しかしあの少女(ウタコ)は弟を救おうとした。自らの命を顧みず。彼女は私の知っている欲のまみれた人間とは違った。あの様な子が育つなら人間の子供を利用することなど出来ない。」

 

とデモキンに訴えた。

 

そして「お前の裏切りに気付けてよかった。」と言われデモキンに刺されるが、絶命前に捕まっていた怪物君達を逃がす。

 

デモキンがヒロシを刺そうとしたところに怪物くんが飛び込み怪物くんが刺されてしまうが、それがきっかけで封印が解けて、怪物界での姿に変身する。

 

そしてデモキンと戦った結果、怪物くんが勝利。

 

とどめをさす事なく戦いの後、怪物くんが「大切な奴を守りたい気持ちは魔王石だって勝てない。だからこんなものいらないよな。」と言って持っていた剣で魔王石を壊す。

 

それによって岩にされていた人たちは元に戻る。

 

利己的な悪魔と違い、人間の利他的な良いところに気付いた怪物くんの戦いは終わりますが、このドラマを観ていた子供達にも、どちらが幸福かに気付いてもらえれば、嬉しいですね。

 

(続く)

 

 

【アドラー心理学と信仰・愛について(対神関係論)・26】

 

<利己的、利他的>

 

本シリーズで書いたフランクルや前回「<逆説と気付き>」のところで、利己的な目的が、利他的な共同体感覚に適っている事の重要性について取り上げました。

 

自分だけが良ければそれで良し、と言うのは論外ですが、この利己的な劣等克服と言う目的は、人間が不完全で、社会というものへの協力がないと生きて行けない、という定めに従わざるを得ないところから来ています。

 

「<共同体感覚のイメージ>」のところで出てきたリディア・ジッハーやアドラーの弟子であるアンス・バッハーは、「誰もどんなことであれ他の人の為にすることはない。」とさえ考えていた様です。

 

アドラー自身は目標追求という自己中心的な概念と、聖書の「隣人を愛すること」「受けるよりも与える者が祝福される」で説明される共同体感覚という利他的な概念の折り合いをつける為に悩んでいたと言いますが、私自身、死が伴わない限り、これは次項の様に共同体感覚への到達度及び段階の問題であって、「的」という表現からもわかる様に、線引きができる事ではない様に思えます。

 

本ブログ【働く意味】にも書きましたが、翔くんの「自分の為が人の為。」って、深い意味があると思うんですね。

 

また、「感謝」や「貢献自己肯定感の高まり勇気づく幸福」と言ったワードがポイントだと思いますが、利己的な目的が利他的な手段を通して共同体感覚が強化されて行く様に思われます。

 

利己的な要素が全くないものを探すとすれば、理想としての全能の神だけだという事は分かりますが、聖人、聖職者、信仰を持っている方を始め、最初からほとんど100%利他的に行動する方々が少なからずおられます。

 

例えば、家族の居る事を嘆いたユダヤ人の身代わりを名乗り出て、ナチスに殺されたコルベ神父、暴走列車を命を捨てて止めた鉄道員、ホームから落ちた人を助けて亡くなった人、津波警報を告げていて波にのまれた役場の職員等が思い出されます。

 

これらは、同じ状況でも、親戚までしか助けない人ばかりと言う国民性がはっきり出てしまう某国の場合も知られており、本能的な要素が、共同体感覚を目指した教育の成果で強化されていると言えます。

 

殉教も含めた死が伴うこの様な利他行動は、先に述べた様に、教育によって本能的なものが強化され、無意識的なライフスタイルになる様ですが、ハイヤーパワーと同じ様な働き、心理学の範疇を超えた、信仰の範疇に限りなく近づいている様にも思えます。

 

ただこれらの尊い例は、究極の適切ではありますが、残された人の悲しみが大きく、生きて貢献するのを適切と捉えるアドラー心理学では、代替案としてお薦めする事はできません。

 

岸見一郎先生はこれを「アドラー心理学の諸問題(1)」という論文で、適切でも不適切でもない中性の行動と説明されています。

 

イエス・キリストは、人が神とイコールになって利己を全くなくす事をしなくても、不完全でも赦される様、神と人間が愛で結ばれる様に誕生され、人の罪を背負って、人としてではなく、愛のある神として十字架にかかった事も、しっかり再認識してクリスマスをお祝いした方が良いのでしょう。

 

(続く)

 

 

<列車で豪!の旅・7>

 

シドニー・セントラル駅では、先程食堂車で一緒だったオッチャンとホームで記念写真を撮り合った後、ガイドさんと落ち合う時刻まで車両取材です。

 
オーストラリア版のカー・トレイン。

 

通勤車両の並び。

 

・・・・。

 

その後、お決まりの市内観光へ。

 

オペラハウスやハーバーブリッジは絵葉書的でこそあれ、毎日こんな風景を観ながら暮らしている人が羨ましくなってしまいます。

 

タワーレストランでは昼食にTボーンステーキを注文します。

 

中は中日ビルの回転レストランによく似てますが、窓外は飛行機からの眺めの様でまるで別世界。

 

絶景を楽しみながら、ホントに名古屋と姉妹都市?と3人で語り合います。

 

因みに現地ガイド氏は緑区出身との事。

 

(続く)

 

 

<鉄道動画集>

 

YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。

 

 

<プロフィール>

 

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本ブログ中、横300サイズの小画像はお借りしたものとなります。

 

ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。


本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。

また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。

巻き起こせ!

 

勇気づけの嵐。