サトラジオラマ | 勇気づけの嵐c6217139-08

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勇気づけの嵐

 

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ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。


本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。

また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。

巻き起こせ!

勇気づけの嵐。

 

 

<重要なお知らせ>

 

【記事再掲載のご案内】

 

本ブログに移行して来る前の記事も改めて再掲載して行く事にしました。

 

こちらの記事一覧に加わって行く事になります。

 

2017年6月1日の記事からボチボチやってます。

 

今回、以下の記事を取り込みました。

 

 

<日替り記事>

 

 

【5×20】

 

年明け早々、災害・事故等で大変な事になってますが、昨年大晦日は、堤幸彦監督の作品で楽しむ事ができました。

 

カミさんがライブ参戦しているのでペンラがあったのですが、様子が分からないので大人しくシアターに出かけています。

 

やはり、叫ぶ事はなかったですが、つい歌を口ずさんでしまう事もしばしば。

 

懐かしささえ覚える映像に有難うでした。

 

劇場は、家潤が「兵糧入れ」を成功させた城跡の近くです。

 

 

【ご近所様】

 

幼少の頃、本物のロバと馬車に釘付けになったあのパン屋さんが、懐かしのメロディと共に突然現れビックリ。

 

蒸しパン、美味しく頂きました。

 

 

こう言うのも来ないかな。

 

ハヤシはまだないでよー。

 

 

【愛聴習慣】

 

久々のピアノ・ブルース。

 

ブギがごきげんなセシル・ギヤントですが、ブルースも味があります。

 

「トレイン・タイム・ブルース」です。

 

 

<シリーズ・勇気づけの暮らし・88(復刻)>

 

本シリーズでは、大野さんのラジオ「さとラジ」の内容等と共に、無茶振り返しが好きだと書きましたが、どうせ衣装に替えるからと、パジャマで仕事場に行きかねない程、服装に無頓着で自然体なところも、カッコつけなくてお気に入りです。


昔の下着を大事に使っている方は、他にもいらっしゃる様ですが...。

 

今年ジュエリーベストドレッサー賞を受賞した潤くんからも、メンバーの中でいちばん宝石が似合わないのは大野さんと言われてましたが、同感です。

 

その大野さん、Beautiful Worldツアー札幌に、コンビニ行く格好、Tシャツ1枚、短パンとサンダルで来た事を、2011.7.30のMCで、メンバーにからかわれます。

 

その代わり、潤くんの為に重いものを持って来てました。

 

それは、ジオラマ入門編の雑誌。

 

先の古田さんゲストの番組の時に、何と潤くんもやってみたいと思ったそうでなんです。

 

遡る2010.9.11、やはり六角精児さんゲストの「しやがれ」で、潤くんが、大井川鐵道の駅弁のSL写真を見ながら、「鉄道ってイイネ」と言ったのに、一瞬「ん?」と思っていましたが...。

 

更に札幌でのMC続けます。

 

潤「(にこにこ)ジオラマ買ったらみんなにメールする!リーダーんち集まろ。」 


和「いくいくいく」

 

てな具合で盛り上がるのですが、外では仲良しなのに、何故かジュニア時代からメンバーの自宅訪問を寄せ付けない大野さん。


目的がすり変わったのを感じたのか、「俺のスペースがない」とか、「何で俺んち汚すの?」とか言って、実現には至りませんでした。

 

砂で汚れる事も経験済みだった様で。

 

何れにしましても、コンサートのMC中、鉄道模型の話題で盛り上がる男性アイドルグループがかつてあったでしょうか?

 

(続く)

 

 

<買収の旅・エピローグ1>

 

強烈な非日常性がうかがえる私鉄の国有化買収について、自身の興味本位で記事を綴って来た旅でしたが、少し気付かされた事についても取り上げておきましょう。

 

経済恐慌対策としての明治期の鉄道国有法による幹線私鉄の買収があり、その後、我田引鉄も含んだ鉄道網形成期には、その網かけの一部となる地方私鉄の買収も行われています。

 

前者は、各社毎の規模が大きく、また直通輸送に際しても、国による指示で開業時から支障は特になかった様です。

 

それから、後者に於いて引き継がれた雑多な車両は、早々に他社に譲渡されて行きました。

 

これらと異なり、戦争を有利にとの意図で緊急に実施された第二次大戦時買収。

 

この時の周りの状況はと言うと、その戦争によって軍事物資や人員の輸送が急増した事や戦後の買い出し客の大移動があったにも関わらず、被災・疲弊・電装品調達困難等の混乱によって大幅な車両不足をきたしていました。

 

池袋電車区で被災のモハ31020。

 

割れたガラスも木板で塞ぐなど、応急修理のみで済ませる事は当たり前。

 

大手私鉄等では、他社からかき集めた古い木造車を始め、ガソリン統制や電気部品不足で自走できなくなった車両も、機関車等に牽かせたりしていました。

 

国鉄では、戦災復旧車も含め、やはり無動力車の機関車牽引の他、終戦までもてば良いとの粗悪な戦時型車両の投入を仰いで何とか凌いでいた有様で、電車に於いては、その新車でさえ先述の様に未電装で編成に組み込まれたので、そんな中では、既にいた買収車とて貴重な働き手だった訳です。

 

そして戦後、こんな状況が落ち着いて来ると、これらの個性的買収車両は、電気方式や規格等の相違が災いして、標準的な保守・運用が困難との問題が表面化、今度は邪魔者扱いとなるのです。

 

(続く)

 

 

<鉄道動画集>

 

YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。