今まさにうつの地獄にいる方 | 夜のひかり

夜のひかり

12年前、産後うつ→双極性障害の発覚。閉鎖病棟へ3度の入院歴あり。現在も子育てをしながら闘病中です。
同様の病気の方とつながりたいことからブログを始めました。

私は

今まで生きてきて

かなり辛いことがありました


父親からは今で言えば虐待を日常的に繰り返されていて

例えば小さい頃、お手伝いで皿洗いをしていて、お茶碗を落としてガチャン!と大きな音が鳴るとゲンコツが飛んで来ました

遊びから帰る時間が遅くなると、顔に手形が残るようなビンタをされました

学校で先生に「どうしたの!?」と聞かれ、恥ずかしくて、「転んだの」と答えました

先生は気付いていたけど、うちの父親の面倒さを知っていて、ただ「痛かったね、何かあったら言うのよ」と言いました


虐待の中には最近の世の中の風潮を見れば

性的虐待もありました

局部には触れないし体を直にも触れないので明確に被害意識を持てませんでしたが

小さい頃はお尻や胸を触られました

「成長を確かめてるんだ」とか何とか言っていて、わからないながらもとても気持ち悪かったです


中学2年生の時

胸を触られそうになって父親の足を蹴ったのですが

その後暫く完全無視をされました

夕飯の時は同じテーブルに座るのに

私の顔が見えないようにわざわざ高さのある観葉植物を置くのです

家族の顔を見ずに

黙ってご飯を食べました


母親は多分気付いていたのに庇ってくれませんでした


その替わりに、18歳で家を出るよう促されました


年頃の娘と父親を

一緒に置いておきたくなかったのだと思います



父親は国公立大学工学部大学院卒、卒業後は当時最も大手の電気メーカーに勤めた

所謂エリートです

かなり年収もあったはずです


でも私には

塾も行かせてくれませんでした


私は

自力で学費の安い公立大学に合格し家を出て

自分で学費も生活費も稼ぎました


バイトばかりで遊ぶ時間など無く

キャンパスライフを楽しむ同級生とは

あまり仲良くなれませんでした


何とか卒業し

就職して1年もしないうちに

母の癌が発覚しました


父親は大企業でいくらでも介護休暇が取れたはずなのに

私の仕事はくだらないからと

私に仕事を休ませ母の看取りをさせました


私は個室部屋につきっきりで

壊れていく母に吐かれる暴言を受け止め


父親からはその仕事帰りに私の夕飯としてスーパーで割引になってる弁当を持って来られるたび

「お前がちゃんと見ないから、またお母さんは悪くなってる!」と罵られました


私は

母の死を心待ちにするようになり


母の死後

その感情を持ってしまったことに

とてつもなく苦しめられました



1度目の結婚生活も

上手くいきませんでした


また離婚ジャンルに変えて書けたらとは思いますが

前の旦那とは裁判として22個の事件(裁判名は~事件 という)を争いました


職場にも訴状が届くという事態で

これも心身を消耗しました





このように

多々辛いことがあったはずなのですが



私が今までで一番辛かったのは

「うつ状態」です


これは断トツです


自分でどうすることも出来ない


本当に本当に辛いものでした


何をすれば良いのかわからない


いつ?浮上するのかわからない


怖くて苦しくて


もう死ぬしかない


この苦しみから逃げたい


そんなバケモノが「うつ状態」でした




今その渦中にいる人は

出口が見えなくて辛いのでは


このブログで良いねをしてくれた方のブログを読んでは気がかりになります



無責任なことは言えませんが


とてもとても辛くても

ただ今日1日生きているだけで価値があると私は思っています


全ての生き物に備わっているのは種の保存欲求


であれば

ただ今日1日

ヒトとして生きていられただけで

良いと思うのです



上手く表現出来ませんが…


皆さんがよく眠れますように