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Chiのダイエット日記

ブログの説明を入力します。日々のダイエット記録

またまたダイエットには関係ないけども。前回、母のことを書いたので、今日は、お父さんのことを書いてみようかな。来月は父の日だしねニコニコ

私は、子供の頃、お父さんが大好きだった。大きくて逞しくて力持ち。強くてカッコいい。休日はよくラグビーの練習を見に行ってたラグビーどこのポジションだったのかは知らないアセアセ

それから春には筍掘りにも行ったし、家族旅行にもよく行ってたし、時々現場にも連れて行ってもらった。

父は色んな仕事をしていた。私が知っているのは、結婚してすぐくらいは中華屋さん。私が赤ちゃんの頃は、トラックで移動販売をする八百屋さん。私はリンゴの箱に入れられて寝てたらしい。
小さい頃は造園の仕事。造園の仕事の時も私はよくお客さんのところに連れていってもらってたみたい。外国人の方のお宅のお子さんと言葉は通じないながらも一緒に遊んだり。そして、小学校上がったくらいかしら?鳶の仕事を始めたのは。

今年67歳になる父だけど、鳶の仕事は今も現役でバリバリ働いている。

多分、父が鳶の仕事を始めたのは20代後半か30歳くらい。鳶としてはとっても遅咲きだ。

職人さんは、早い人なら15〜6歳から働いている。だから、もしかしたら、鳶を始めたばかりの頃の父は、自分よりもはるかに若い20そこそこくらいのコに、「おっさん、そんな事も知らないのかよ。そんな事も出来ねーのかよ。」ってずいぶんバカにされた事もあったかもしれない。

そんな若造に、すみません。て何度も頭下げてたのかも知れない。くぅーぐすんなんて屈辱ゲロー

そんな頃があったかもしれない父だけど、私の記憶には、鳶の親方の父しかない。

1番多い頃は、30人くらいの従業員を抱えていた。あの頃の私には、それがスゴい事だなんて全く分からなかった。

町場の現場から大手ゼネコンの仕事まで色々やっていたようだ。みなとみらいのランドマークタワーの建設にも携わっていたらしい。

お父さんはいつも、家の駐車場までは帰ってこれるのに、家の中まで辿り着く事が出来ないことが多かった。駐車場で電池切れ。そのまま寝ちゃってる。とか、玄関開けたら廊下で倒れてる時とかあって、知らずに後から帰ってきた私はドア開けてヒッ滝汗お父さん死んでるか?ポーンってなったりしたこともある。

とにかく仕事が大好きで。若い衆たちの誰より張り切って働いてて。

だけどある時、高い所から落っこちた。子供だったから建物の何階くらいから落ちたのか知らないけど、別の誰かが組んだ昇降設備の施工が甘かったらしく、タラップごと落ちた。

顎の骨が砕けて、利き手も粉砕骨折?大腿骨だったかな?足のどっかの骨も折れて、入院した。今思えばかなりの重傷なんだけど、ベッドの上のお父さんは、大丈夫だよ!ニコニコグッって笑ってたから子供の私はそんな大変なこととは微塵も思わなかった。握力が80以上あったのが、半分以下になり、顎も感覚がわかりずらくよく飲み物とか垂れてたりしてた。

だけど、相当リハビリ頑張ったんでしょう。ケガをする以前と同様に現場にまた復帰した。それだけ従業員いたんだから、自分は現場引退して指示だけ出すって選択肢もあっただろうけど、またバリバリ働き出した。何事も無かったかのように。

スゴいよね。子供の頃はどれほどの痛みとか苦労を乗り越えたのかとか分からなかったから、そんな父がスゴいとも思わなかったし、ウチのお父さん、やっぱこんなデカいから無敵なんだ!ちょっと普通の人と作りが違うのかも。くらいにしか思ってなかった。

そして、お父さんはいつもお金ない。貧乏だ。とか、お人好し過ぎて食い物にされてばっかだ。なのに文句も言わない、バカなんじゃない?とか思ってたんだけど。

母がお父さん、お金無くなっちゃった。って言えば、ポンと50万くらいくれたこともあったという。いくらバブルの頃の話とは言え、当時の母だって相当稼いでたはずだし、追加の50万貰う前にもきっとお金は貰っていたはず。だとしたら、ウチはお金には困ってなかったはず。

もちろん、従業員にご飯食べさせてあげたり、ビール飲ませてあげたり、普通の家庭よりも余分な出費もあったのかも知れないけど、私も弟も常に習い事は最低2つは通ってたし、よその子たちよりもお小遣いは貰っていたかも。
子供達の年に一度のお楽しみのお年玉なんて総額10万越えは当たり前だった。

でも、そのお年玉の中から弟と出し合ってお母さんに新しいガスコンロやら炊飯器やらを買ってあげるシステム(お母さんに強制的にその代金分没収される)になっていて、せっかく貰ったのにチョットになっちゃったえーんて不満だった。文句を言うと、あんた達がそんなに沢山貰えるのは、お父さんやお母さん達がそれ以上に払ってるからよ!と言われていた。そしてお母さん銀行に預けたお金はいつのまにか無くなっていたガーン

社員旅行も毎年行ってたな。私は18から働き出したけど、20歳まで両親はお年玉をくれていた。

そして私は、車の免許代も、クレーンの免許やら、様々な資格も、初めての車も全部お金はお父さんが払ってくれた。

あれ?お父さん貧乏なんかじゃなかったゎ。

まとまらないから次に続く。