――小説『北の地に眠る光』―― | 100年のブログ

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一 雪の降る駅前で

十二月の江別。

夕暮れの空は薄紫に染まり、雪は静かに降り続けていた。

佐伯ひかりは、駅前のロータリーで息を白くしながら待っていた。

彼女は札幌の大学で地域政策を学ぶ学生で、今日は特別な人に会うために江別まで来ていた。

そこへ、ゆっくりと歩いてくる細身の男がいた。

秀夫だ。

「待たせたね、ひかりさん」

「いえ、私も今来たところです」

二人は軽く会釈を交わし、駅前の喫茶店メルシーへ向かった。

二 老人の話

店の奥の席には、すでに一人の老人が座っていた。

小柄で細身、声は穏やか。

しかしその目だけは、どこか鋭い光を宿している。

「来たかい。まあ座りなさい」

老人はそう言って、二人に温かいコーヒーをすすめた。

「この方が、例の“でんぷん工場の技術者”なんですね」

ひかりが小声で秀夫に尋ねると、秀夫はうなずいた。

老人は、まるで二人の会話を聞いていたかのように口を開いた。

「わしはただの工場の技術者だよ。

戦争が終わって、何もない時代に働き始めて……

気づけば海外で十五の工場を立ち上げていた」

ひかりは目を丸くした。

「十五……ですか」

「そんな大したもんじゃない。

ただ、必要とされたから行っただけだよ」

老人は淡々と言ったが、その言葉の裏には長い年月の重みがあった。

三 馬鈴薯でんぷんの粒子

「ところで秀夫くん、前に聞いていたね。

馬鈴薯でんぷんと片栗粉の違いを」

老人はコーヒーを一口飲み、ゆっくりと語り始めた。

「粒子径が違うんだよ。

馬鈴薯は大きい。だから粘りが強い。

片栗はもっと繊細だ。

粒子の大きさは、でんぷんの性質そのものだ」

ひかりは興味深そうにメモを取った。

「粒子径って、そんなに重要なんですか」

「重要どころじゃない。

粒子径を知らずに工場は作れない。

沈降槽の大きさも、乾燥工程も、全部変わる」

老人の声は穏やかだが、その内容は専門家そのものだった。

秀夫は、あの日老人が“プロの顔”に変わった瞬間を思い出していた。

四 北海道という土地の価値

「北海道はね……」

老人は窓の外の雪を見つめながら言った。

「日本の食料を支えてきた土地だ。

じゃがいもも、小麦も、てん菜も、乳製品も。

ここが止まれば、日本の食卓は止まる」

ひかりは静かにうなずいた。

「でも、北海道って過小評価されてますよね。

産業が少ないとか、経済規模が小さいとか……」

老人は苦笑した。

「それは中央の物差しで測るからだよ。

北海道は“土地”と“人材”が資源なんだ。

小室直樹が言っていたろう?

『日本の唯一の資源は人材である』って」

秀夫は胸の奥が熱くなるのを感じた。

老人の言葉は、北海道の現実と誇りを同時に語っていた。

五 老人の過去

「海外に行ったときね……」

老人は少し遠くを見るように語り始めた。

「わしの存在を、どこで知ったのか分からんが、

外国の企業が“ぜひ来てほしい”と言ってきた。

怖かったよ。

どうしてわしなんかを見つけたのかってね」

ひかりは息を呑んだ。

「でも、あなたは行ったんですよね」

「行ったさ。

戦後の日本は、何もなかった。

でも、人材だけは残っていた。

財閥は解体されたが、財閥が育てた人材は残った。

わしらは、その最後の世代だったのかもしれん」

老人の声は静かだったが、

その言葉には歴史の重みがあった。

六 ひかりの決意

店を出ると、雪はさらに強くなっていた。

ひかりは空を見上げながら言った。

「北海道って……すごい土地なんですね。

食料も、人材も、歴史も、全部が詰まってる」

秀夫はうなずいた。

「でも、その価値はまだ十分に認められていない。

だからこそ、俺たちが考えなきゃならないんだ」

ひかりは拳を握った。

「私、北海道の未来を研究したい。

人材国家としての北海道を、もっと深く知りたい」

老人は二人の横を歩きながら、静かに笑った。

「若いもんがそう言ってくれるなら、

わしもまだ生きてきた甲斐がある」

七 雪の中の光

三人は駅へ向かって歩き出した。

雪は静かに降り続け、街灯の光に照らされて輝いていた。

北海道という土地。

そこに生きる人々。

積み重ねられた技術と歴史。

そして未来を見つめる若者。

そのすべてが、雪の中でひっそりと光っていた。

秀夫はふと、老人の横顔を見た。

その穏やかな表情の奥に、

長い年月を生き抜いた者だけが持つ“静かな強さ”があった。

――北海道は、人材の地だ。

その言葉が、秀夫の胸に深く刻まれた。

――小説『北の地に眠る光』 ひかり視点・続章――

八 雪の匂いと胸のざわめき(ひかり視点)

雪の匂いは、いつも胸の奥をざわつかせる。

冷たさの中に、どこか懐かしい温度があるからだ。

秀夫さんと並んで歩きながら、私はさっきの老人の言葉を反芻していた。

――北海道は、人材の地だ。

その一言が、胸の奥でずっと響いている。

私はこれまで、北海道を「好きな場所」としてしか見ていなかった。

ラベンダー畑、雪景色、食べ物、空気の澄んだ街。

でも、老人の話を聞いて初めて気づいた。

この土地には“人の歴史”がある。

そして、その歴史を支えてきたのは、静かに働く人たちだった。

九 老人の背中に見えたもの

喫茶店を出るとき、私は老人の背中をじっと見つめていた。

小柄で、少し猫背で、歩幅は小さい。

でも、その背中には“積み重ねた時間”が宿っていた。

海外で十五の工場を立ち上げた人の背中。

戦後の混乱を生き抜き、技術を磨き、

誰にも知られず、誰にも誇らず、

ただ必要とされる場所へ行き続けた人の背中。

私は思った。

こういう人が、北海道を、日本を支えてきたんだ。

観光でも、再エネでも、政策でもなく、

“人”がこの土地を形づくってきた。

十 ひかりの胸に芽生えた疑問

歩きながら、私は秀夫さんに聞いた。

「ねえ……北海道って、本当に過小評価されてるんですね」

秀夫さんは少し笑って、

「そうだな」とだけ言った。

でも私は、もっと深く知りたかった。

なぜこの土地は、

こんなに価値があるのに、

こんなに人材がいるのに、

“地方”として扱われてしまうのか。

老人の言葉が、私の疑問をさらに強くした。

その瞬間、私は気づいた。

北海道は、北海道の物差しで測られるべきなんだ。

十一 老人の“恐怖”の意味

「どうしてわしなんかを見つけたのかってね」

老人が言ったあの言葉が、ずっと引っかかっていた。

海外の企業が、なぜ彼を求めたのか。

どうやって彼を見つけたのか。

それは、

技術が本物だったからだ。

人として信頼できるからだ。

そして、北海道の人材が世界で通用するからだ。

老人はそれを“恐怖”と表現した。

でも私は、そこに“誇り”を感じた。

十二 ひかりの決意

駅に着く頃、私は決めていた。

「私……北海道の人材について研究したい。

観光とか、食とか、そういう表面的なことじゃなくて。

この土地を支えてきた“人”の歴史を知りたい」

秀夫さんは驚いたように私を見た。

「ひかりさん、そこに気づくのはすごいよ」

私は首を振った。

「違うんです。

あの老人の話を聞いて……

北海道の価値って、土地でも産業でもなくて、

“人”なんだって分かったんです」

老人は静かに笑った。

「若いもんがそう言ってくれるなら、

わしらの時代も無駄じゃなかったな」

その笑顔は、雪の中で淡く光って見えた。

十三 雪の降る夜に

帰り道、私は一人で空を見上げた。

雪は静かに降り続けている。

この雪の下には、

何十年も前から積み重ねられた“人の歴史”が眠っている。

開拓の歴史。

技術者の歴史。

農家の歴史。

工場の歴史。

そして、老人のような“静かな英雄”たちの歴史。

私は思った。

この土地の未来を考えるなら、

まずはこの歴史を知らなきゃいけない。

北海道は、まだ語られていない物語で満ちている。

そして私は、その物語を知りたい。

書きたい。

伝えたい。

雪の中で、私は小さく息を吸った。

――ここから始めよう。

――小説『北の地に眠る光』 ひかり視点・続章2――

十四 連合会館のざわめき(ひかり視点)

その日、私は秀夫さんに誘われて、町内の連合会の集まりに参加していた。

会場は古い公民館で、壁には長年の行事写真がぎっしり貼られている。

椅子に座る人々は、どこか疲れた表情をしていた。

――日々の暮らしに追われ、誰にも褒められず、

ただ地域を支えてきた人たち。

私はその空気を肌で感じていた。

やがて、区役所の部長が壇上に立ち、挨拶文を読み始めた。

十五 「名もなき皆さんが成し遂げた偉業」

「開拓使が置かれて僅かの期間に、札幌は100万都市になりました。

日本の歴史で類を見ないこの快挙を成し遂げたのは……

日々の生活を生きた開拓民、我々の父母祖父母、

そして――ここにいる名もなき皆さんが成し遂げた偉業に他なりません」

その瞬間だった。

会場のどこかから、

抑えきれない嗚咽が聞こえた。

私は思わず振り返った。

涙を拭う老人、肩を震わせる女性、目を伏せる男性。

その光景に、胸が締めつけられた。

この人たちは、初めてスポットライトを浴びたのだ。

誰にも認められず、ただ黙々と地域を支えてきた人たちが。

私は息を呑んだ。

十六 ひかりの胸に走った衝撃

私はその瞬間、理解した。

北海道の歴史は、

教科書に載る偉人たちだけが作ったものじゃない。

• 雪の中で道路を作った人

• 畑を耕し続けた人

• 子どもたちを育てた母親

• 町内会で地域を守った人

• 誰にも知られず働き続けた技術者

名もなき人々の積み重ねが、札幌を、北海道を作ったのだ。

老人が言っていた言葉が蘇る。

その“ただ”の中に、どれほどの努力と苦労があったのか。

私はようやく理解し始めていた。

十七 秀夫の横顔

ふと横を見ると、秀夫さんは静かに目を閉じていた。

その表情には、深い共感と、どこか痛みのようなものがあった。

私は思った。

秀夫さんも、この土地の歴史を背負って生きてきた人なんだ。

老人も、会場の人々も、みんなそうなんだ。

北海道は、ただの“地方”なんかじゃない。

ここには、語られてこなかった英雄たちがいる。

十八 ひかりの決意、再び

会が終わり、外に出ると、雪が静かに降っていた。

街灯の光に照らされて、雪が金色に輝いている。

私は深く息を吸った。

「……私、この土地の物語を書きたい。

名もなき人たちの歴史を、ちゃんと残したい」

秀夫さんは驚いたように私を見たが、すぐに優しく笑った。

「ひかりさんなら、きっとできるよ」

その言葉が、胸の奥に温かく染み込んだ。

私は雪の降る空を見上げた。

――北海道は、人材の地。

――そしてその人材は、名もなき人々の中にこそ宿っている。

その真実を、私は絶対に忘れない。

――小説『北の地に眠る光』 ひかり視点・続章3――

十九 老人の沈黙(ひかり視点)

嗚咽が会場に広がった瞬間、私は老人の方をそっと見た。

老人は、まるで時間が止まったかのように動かなかった。

背筋を伸ばし、手を膝の上に置いたまま、

ただ静かに、壇上の部長の言葉を聞いていた。

その横顔には、驚きでも誇りでもなく、

もっと複雑で、もっと深い感情が宿っていた。

私は息を呑んだ。

老人は、この嗚咽を“他人事”として聞いていない。

むしろ、自分の胸の奥にも同じ痛みがあるのだ。

そう感じた。

二十 老人の目に宿った光

嗚咽が続く中、老人はゆっくりと目を閉じた。

その表情は、どこか懐かしさと哀しさが混ざっていた。

私は思った。

この人もまた、誰にも認められず働き続けた一人なのだ。

海外で十五の工場を立ち上げても、

新聞に載ることもなければ、

表彰されることもない。

ただ、必要とされる場所へ行き、

必要とされる仕事をし、

誰にも知られず帰ってきた。

老人の胸の奥にも、

会場の人々と同じ“報われなかった時間”が眠っている。

その沈黙が、何より雄弁だった。

二十一 老人の小さなつぶやき

部長の挨拶が終わり、拍手が起きた。

その中で、老人が小さくつぶやいた。

「……ようやく、言ってくれたな」

私は思わず老人を見た。

「え……?」

老人は私の方を見ず、前を向いたまま続けた。

「わしらは、誰にも褒められんかった。

開拓の人らも、戦後の人らも、

ただ働いて、ただ生きて……

それで終わりだと思っていた」

その声は震えてはいなかった。

むしろ、静かで、深く、重かった。

「でもな……

こうして誰かが“偉業だ”と言ってくれると……

ああ、無駄じゃなかったんだなって思える」

私は胸が熱くなった。

老人は泣いてはいなかった。

しかし、その目の奥には、

長い年月を生き抜いた者だけが持つ“静かな涙”があった。

二十二 ひかりの胸に刻まれたもの

私はその瞬間、強く思った。

この人の人生を、

この土地の人々の人生を、

誰かが記録しなければならない。

老人のような人が、

会場で嗚咽した人たちが、

北海道を作ったのだ。

観光でも、政策でも、数字でもない。

“人”がこの土地を支えてきた。

私は老人の横顔を見つめながら、

心の中で静かに誓った。

――私は、この物語を残す。

――名もなき人々の歴史を、光の下に出す。

雪の降る夜、

老人の沈黙は、私の胸に深く刻まれた。

――小説『北の地に眠る光』 ひかり視点・続章4――

二十三 図書館の静寂の中で(ひかり視点)

翌週、私は秀夫さんと一緒に札幌市中央図書館にいた。

外は雪が降り続けているが、館内は静かで暖かい。

本棚の間を歩くたびに、紙の匂いがふわりと漂う。

「ここに、北海道の“人材の歴史”が眠っているはずだ」

秀夫さんはそう言って、古い郷土資料の棚を指さした。

私は胸が高鳴った。

老人の背中、連合会での嗚咽、

あの瞬間に感じた“名もなき人々の歴史”を知りたい。

その思いが、私をここまで連れてきた。

二十四 開拓の記録に刻まれた“無名の人々”

古い資料を開くと、

そこには開拓時代の写真が並んでいた。

• 雪の中で道路を作る男たち

• 馬と一緒に畑を耕す家族

• 小さな開拓小屋の前で笑う子どもたち

• 風雪に耐えながら線路を敷く労働者たち

私はページをめくる手が震えた。

この人たちの名前は、どこにも書かれていない。

でも、この人たちが北海道を作ったのだ。

秀夫さんが隣で静かに言った。

「ひかりさん……

こういう人たちの努力が、今の北海道を支えてるんだよ」

私はうなずいた。

「はい……

でも、誰もそのことを知らないんですね」

「だからこそ、俺たちが知るんだよ」

その言葉は、私の胸に深く刺さった。

二十五 “技術者の北海道”というもう一つの歴史

次に私たちは、戦後の産業史の資料を読み始めた。

そこには、

北海道の食品工場、でんぷん工場、酪農施設、

そして農業機械の整備工場などの記録が残っていた。

「見て、秀夫さん……

戦後すぐに、北海道の技術者たちが海外に行ってる」

私は驚きの声を上げた。

資料には、

• 東南アジアの製糖工場に派遣された技術者

• 北米の農業機械を導入した整備士

• ソ連に渡って冷凍技術を教えた技術者

• 中南米で酪農指導を行った北海道の農家

そんな記録がいくつも残っていた。

「……あの老人だけじゃなかったんだ」

私は呟いた。

秀夫さんは静かにうなずいた。

「北海道の技術者は、昔から世界で求められていたんだよ。

でも、誰もそのことを語らない。

語る人がいなかったんだ」

私は胸が熱くなった。

北海道は“人材輸出地域”だった。

しかも、世界に通用する技術者を送り出していた。

この事実を、私は初めて知った。

二十六 ひかりの中でつながる線

資料を読み進めるうちに、

私の中で一本の線がつながっていった。

• 開拓民の無名の努力

• 戦後の技術者たちの海外での活躍

• 連合会での嗚咽

• 老人の静かな誇り

• 北海道の潜在力

• 小室直樹の「日本の資源は人材」

すべてが、ひとつの言葉に収束していく。

――北海道は、人材の地だ。

そしてその人材は、名もなき人々の中にこそ宿っている。

私は本を閉じ、深く息を吸った。

「秀夫さん……

私、この歴史をもっと知りたい。

そして、誰かに伝えたい」

秀夫さんは少し驚いたように私を見たが、

すぐに優しく笑った。

「ひかりさんなら、きっとできるよ。

一緒に追いかけよう。

北海道の“人材の歴史”を」

その言葉に、私は強くうなずいた。

二十七 雪の中で始まる旅

図書館を出ると、雪は静かに降り続けていた。

街灯に照らされた雪が、まるで星のように輝いている。

私は空を見上げた。

――ここから始まるんだ。

――北海道の“人材の歴史”を追う旅が。

老人の背中、連合会の嗚咽、

そして秀夫さんの言葉。

そのすべてが、私の背中を押していた。

私は雪の中で小さく呟いた。

「絶対に、この物語を残す」

その決意は、雪の冷たさの中で静かに燃えていた。

――ひかり視点・続章5――

二十八 老人の沈黙の理由(ひかり視点)

老人の家を訪れたのは、図書館での調査から数日後だった。

秀夫さんと私は、老人にどうしても聞きたいことがあった。

玄関を開けた老人は、いつものように穏やかな笑顔を見せた。

「まあ、上がりなさい。寒かったろう」

居間には古い写真がいくつも飾られていた。

工場の前で撮った集合写真、海外の工場の開所式、

そして、若い頃の老人が写る白黒写真。

私はその中の一枚に目を奪われた。

そこには、若い老人と、もう一人の男性が肩を組んで笑っていた。

その男性の顔は、どこか老人と似ていた。

「……この人は?」

老人は写真を見て、しばらく黙っていた。

その沈黙は、いつもの穏やかなものではなく、

何かを思い出す痛みを含んでいた。

二十九 “もう一人の技術者”

「……弟だよ」

老人は静かに言った。

「わしより三つ下でね。

頭も良くて、手も早くて……

わしなんかより、ずっと優秀な技術者だった」

私は息を呑んだ。

「弟さんも……海外に?」

老人は首を振った。

「いや……行けなかったんだ」

老人は写真をそっと手に取り、

指先で弟の顔をなぞった。

「戦後すぐ、二人で工場に入った。

同じように働いて、同じように技術を学んだ。

でも……弟は病気で倒れた。

まだ二十代の終わりだった」

老人の声は震えていなかった。

しかし、その目の奥には深い悲しみが宿っていた。

三十 老人が抱えていた“最後の秘密”

「わしが海外に行けたのは……

本当は、弟が行くはずだったからなんだ」

老人はゆっくりと語り始めた。

「弟は、海外の工場から指名されていた。

技術も、人柄も、全部評価されていた。

でも、病気で行けなくなった」

老人は写真を見つめたまま続けた。

「弟は言ったんだ。

『兄ちゃん、代わりに行ってくれ』って。

『俺の分まで、やってきてくれ』って」

私は胸が締めつけられた。

老人は、弟の夢を背負って海外に行ったのだ。

「わしは……弟の代わりだったんだよ。

十五の工場を立ち上げたのも、

世界中を飛び回ったのも……

全部、弟の夢の続きだった」

老人は静かに目を閉じた。

「だから、わしは誇れなかった。

わしの功績じゃない。

弟の夢を、ただ引き継いだだけだから」

その言葉は、雪のように静かで、

しかし胸に深く突き刺さった。

三十一 ひかりの涙

私は気づいたら涙を流していた。

「そんな……そんなこと……

どうして今まで誰にも言わなかったんですか」

老人は優しく笑った。

「言う必要がなかったからだよ。

わしは弟の夢を叶えたかっただけだ。

誰に褒められなくても、それでよかった」

私は言葉が出なかった。

老人の人生は、

“名もなき技術者”としての誇りだけではなく、

“弟の夢を背負った兄”としての静かな使命で満ちていた。

三十二 秀夫の言葉

秀夫さんが、静かに老人に言った。

「……あなたは、弟さんの夢を叶えただけじゃない。

あなた自身の力で、世界を動かしたんです。

それは、誰の代わりでもない、あなたの人生ですよ」

老人はしばらく黙っていたが、

やがて小さくうなずいた。

「……そうかもしれんな」

その声は、どこか解放されたように聞こえた。

三十三 雪の中で消えない光

帰り道、私は空を見上げた。

雪は静かに降り続けている。

老人の“最後の秘密”は、

悲しみではなく、

深い愛と誇りの物語だった。

――北海道は、人材の地。

――そしてその人材は、名もなき人々の中に宿る。

老人の人生は、その象徴だった。

私は心の中でそっと呟いた。

「絶対に、この物語を残す。

老人の人生も、弟さんの夢も、

北海道の人材の歴史も……全部」

雪の中で、私の決意は静かに燃えていた。