ブログ全然書かないまま、
3週間も過ぎてしまった。
いまたぶん、人生でいちばん忙しいんじゃないか。
一日があと3時間あったら。
なんてことを思う毎日。
こんなに時間に追われる日がわたしにくるだなんて思わなかったよ。
人生は帳尻が合うようになっているんだなあ。
会社内で大きな編成があったせいで、
春から人の半分が入れ替わり、
新しい業務も山ほど増え、
それまでの業務の量も格段に増えた。
残業、早出、休日出勤。
疲れる。
でも、けっこう楽しかったりもする。
みんなで過渡期を乗り越えようぜ、みたいな空気が、
けっこういいな、なんて思ったりもする。
5月。
大切な人たちと別れたこの時期。
時間が止まった思い出を、今年もたくさん思い出しました。
そして、友人Kがいなくなってしまってから、
1年が経ちました。
この1年。
いまこの1年を振り返ると、
ずっとその場に留まっていた、
なにも成さずに、なにもしてこれなかった、
という思いで頭も胸もいっぱいになる。
進めず、考えることができず、
わたしはいったいなにをしていたんだろうと。
Kがいなくなってから。
Kとやり取りしたメール、LINE、
読み返し続けました。
何度も何度も何度も、何度も。
わたしはどこで間違ったのだろう。
わたしはなにを見逃したのだろう。
何度も読み返しても、
変わるわけではないその内容を、
来る日も来る日も日付を追いながら、
読み続けました。
スマホ中毒者のように。
1年近くそんなことを繰り返しても、
わかったことは、
もうKとは会えないのだ、ということだけ。
わかりたいと願い続けたけれど、
わからないことがあるのだということも。
ある日、ネットで目にしたことが、
わたしの胸の奥を揺さぶりました。
本来の自らの人生目標を明確にして、
自分の現実と向き合う勇気が必要。
たとえ、時間がかかってもどれだけ辛くても。
それはそのまま、
乳がんを告知されたあと、
わたしが考え続けたことだなあと。
自分の人生と向き合い、
膿を出し続けて見えた景色。
答えがないスマホのなかに逃げ続けた1年。
もう終わりにしようと。
1ヶ月ほど前、
Kとの全てのやり取りを全て消しました。
Kのことを思うとき、
いつもいちばん先に思い出すことがあります。
わたしが告知を受けてから手術までの3週間の間。
仕事を休職し、精神的にズタズタだったようなとき。
Kが車でわたしを連れ出してくれたことがありました。
お台場のホテルのテラスで食事をして、
豊洲のららぽーとを歩いて。
わたしが喜びそうなことを考えてくれて。
でもわたしの口から出ることはネガティブなことが多く、
Kの言葉尻を捕まえて突っかかって。
言葉がだんだん少なくなっていった帰り道。
羽田に寄って飛行機見ようか、
haruco、飛行機好きじゃん、
と、国際ターミナルに行ったときのこと。
わたしはもう気持ちが限界で、
空港のなかにいる人全てが妬ましいくらい、
スーツケースを持っている人すべてが幸せそうに見えて。
歩きながら声を上げて泣いてしまった。
そのわたしの手を何も言わず引いて歩いてくれたK。
手を引きながら先を歩いていたから気が付かなかった。
Kも泣いていた。
車に戻ったKは、タガが外れたように泣いてしまって。
いつも、そのことを思い出す。
その日の思い出は、
その後のわたしを支えてくれたから。
うまくできるかはわからないけれど。
1年かけてようやくわかったことだから。
Kがいなくても。
人生の目標に向かっていけるように。