7月6日。
あの日から4年が経ちました。
乳がんの告知から、4年。
今年4月の3ヶ月検診のとき、
待合室で隣り合わせた、
60代くらいの方と少しお話した。
手術から8年になるのだそう。
8年経って、ようやく周囲に、
何気なくわたし乳がんだったのよ、
と言えるようになったのだそうだ。
8年。
わたしにはその人がとても眩しく見えた。
8年後の景色は、
どんななんだろう!と。
1年目よりも2年目、
2年目よりも3年目、と、
時間とともに確実に記憶や痛みがやわらいで、
告知以降揺れ動いた気持ちに、
かなりの部分に折り合いがつき、
いま、穏やかな生活が送れている。
4年前はとてもこんなことは想像できなかった。
すごくすごくありがたいこと。
わたしたち夫婦は、
けして仲睦まじい夫婦ではなかった。
書き表せないくらい、
こんがらかったあげく、
崖っぷち、というようなときに、
わたしが乳がんになった。
母との仲もこじれ、
精神的に頼れることがないなかでの、
闘病だったと思う。
でもいま、4年経って。
わたしたちは少しずつ、
家族として夫婦として、
寄り添えてきたのかな、と思うことが増えた。
大きな病気をしたけれど、
わたしはいま、
人生の中でいちばん幸せだと思う。
家族3人、そろってごはんを食べている時間が、
とても愛おしく幸せだと思う。
こういう日のために、
また明日もがんばろう、と思える。
告知から手術までの3週間の間、
仕事も早々に休職し、
毎日頭がヘトヘトになるくらい、
いろんなことを考え続けた。
そのほとんどは、
それまで考えもしなかったようなこと。
そのなかで、
漠然とだけれど、
でも強く思ったことがあった。
手術が終わり元気になれたら、
誰かの、人の役に立つ人間になりたい。
いま思うと、
それは、生きたい、ということそのもの、
わたしにとって、
生きることは、
誰かの、家族の、大切なひとの、
記憶に残りたい、ということだったのだと思う。
4年は、いろんな思いを遠ざけ、
記憶を上書きした。
けれど変わらないのは、
あのとき強く思った気持ちと、
そして、
幸せのハードルはいまも低いままです。
明日が良い日でありますように。
わたしの大切なひとたちが、
穏やかで幸せでありますように。