昨夜。
実母と会いました。
最後に会ったのが、
2012年の元旦だから、
約3年ぶりに。
ダンナが段取ってくれ、
娘とダンナと4人で、
お外でごはんを食べる、という再会でした。
感じたそのままを本当にそのまま書くと、
3年ぶりに顔を見ても、
特に何と思うこともなかった。
ただ最初の30分位は、
視線を合わせるのが少し勇気が要ったけれど。
そして、もう少しそのまま書く。
やはりわたしは母とは相容れない。
それがはっきりわかった。
先日、電話で話したときに、
弱々しい声で謝ってくれた母。
謝ってくれと言っておいてナンだけれど、
本当に、「ごめんね」と言われて、
とてもびっくりした。
怒りを買ってさらに溝が深くなる、
という覚悟もしていたから。
どこかで信じられない気持ちだった。
今後、「報復」があるかもしれないと、
少し思っていた。
それは考え過ぎじゃなかった。
弱々しく再会を喜んでくれた母だったけれど、
ダンナと娘が席を外して、
ふたりきりになったわずか数分、
それは現実になりました。
そうか、やっぱりな。
それでこそ母だ。
3年間、母とのことでは、
どれだけ泣いたかわからないわたしだけれど、
もうかつてのわたしじゃない。
同僚である友人に、
もう一度深く深く感謝した!
こうして再会しても、
わたしの気持ちは5%だけだ。
残りの95%が、
肩の力を楽にしてくれ、
わたしに大きな余裕を持たせてくれた。
再会後、思った。
もう、いいのだ。
もう、仕方がない。
理想の家族とか、理想の母子像、とか。
もう考えない。
もう仕方がないのだ。
そう思ったほうが、ずっとずっと楽。
母のことを、
少し哀れに思う。
距離を置いていた3年の間に、
知らなかったことを聞く機会があった。
母も、自分の母、
わたしにとって祖母にあたる人と、
深い行き違いがあった、と。
わたしたち姉妹が感じたそのままを、
母も祖母が生きている間じゅう、
感じて恐れていたらしい、と。
わたしたちには、
とても優しく寛容な祖母だったけれど、
母のなかには、
きっといまもいろんな思いがあるのだと思う。
人は、与えられなかったものは、
与えることができない生き物なんだろう、きっと。
わたしが母に、
「報復」の「報復」をするとすれば、
それはひとつしかない。
この連鎖をわたしで見事に断ち切ること。
そして人生楽しく幸せに生きていくこと。
人は、与えられなかったものは、
与えることができないかもしれない。
でも努力することはできる。
同じ轍を踏まないように。
踏んでたまるか。
少し前のわたしなら、
また泣いてウツウツしていたかもしれないけれど、
いまは大丈夫。
いろいろ思うことはあるけれど、
負の感情はない。
読んでいただいて、
もしイヤな気持ちにさせたら本当にごめんなさい。