5% ~実母との和解~ | QOL ~Quality of Life~

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先週。

一言で言うなら、

実母と和解しました。


会わなくなって約3年。

声を聞かなくなって、約2年半。

長い長い時間がかかりました。


わたしの病気がきっかけで、

母との様々な問題が溢れ出て、

あることが引き金となり、

もう一生会わなくていい、

そう思ったのが2年半前。


当時は、

怒りと悲しみが交互に押し寄せ、

精神的にも相当不安定でした。

癌になったことと、

実母との確執が同時期に起きたことは、

一時期、

この世から消え去りたい、

と思うほど、わたしにとっては辛いことでした。

母に愛されてこなかった、

という現実を認めることは、

惨めで勇気がいることでした。


それ以上に、

怒り、悲しみ、憎しみ、

そういった激しい負の感情を持ち続けることが、

こんなにもしんどく辛いことであることを知り、

憎めば憎むほど、

大きくなるそのしんどさに、

母への思い云々よりも、

この状態から抜け出したい、

こんな自分は好きじゃない、と、

自分への嫌悪感も増していきました。


母のことを思えば思うほど、

いくつもの思いが交錯して、

答えが出ない日が続きました。

いま振り返っても、

母のことを考えない日はなかった。

このままでいいとは思ってはいなかった。

けれど、

どうしたらいいのか、

考えても考えても、

わからなかった。


それでも、

今年あたりから少しずつ、

「もう二度と会いたくない」

から、

「どうすれば歩み寄れるのだろう」

というところまで、

気持ちが変化していったものの、

「母と話す」「母と関わる」

ということを想像しただけで、

また悪い精神状態に追い込まれるかもしれない、

という怖さが先に立って、

行動に移すことがなかなか出来なかった。

電話をかける、

メールを打つ、

といういうことを具体的に想像しただけで、

涙が出た。


そう、怖かったんだ。

また最悪の状態になるのが。


先週、仕事が遅くなった日。

一緒に上がった同僚と、

ごはんを食べて帰ろうということになった。


同僚は、実の母と10年以上、

同じ屋根の下で確執があった経験がある。

わたし自身、母のことを、

あまり人には話してこなかったけれど、

この同僚には、

この何年かの間に、

ちょこちょこと話したことがあった。

仕事のことを話していたはずなのに、

いつの間にか、

話題がそうなった。


話の途中で、同僚が言った。


ねえ、100%許さなきゃいけないと思ってない?

そんなことできるわけがない。

お母さんはもう今後も変わることはきっとない。

そしたら、あなたが変わるしかないんだよ。

100%なんて絶対無理。

いくら親子だからって無理。

2%でいいんだよ。

2%だけ、許せばいいの。

あとは許せなくてもいいんだよ。



100%許さなくていいんだよ。

その言葉が、わたしの胸の奥深くまでスッと入ってきた。

目からウロコが落ちた。


そう、わたしが踏み出せなかったのは、

考えていながら、

母に歩み寄ることができなかったのは、

100%許すことができないと思っていたからだ。

どうしても全てを水に流すことができなかった。

100%許す心にならなければ、

母とはもう会うわけにはいかない、

母との今後はないと、

そう思っていたからだ。

2%でいい。

その言葉は、

一筋の光のように思えた。


それなら、

わたしにもできる。

そう思った。


同僚は、こうも言った。

自分が楽になりたかったから、

わたしもそうしたんだよ、と。


わたしも楽になりたかった。

母への思いよりも何よりも、

もうしんどくて疲れちゃったから。

自分のことが嫌いになっていたから。


そして、

実母と話しました。

電話の前、

2%じゃ、あんまりだ。

5%はイケる。

それでも2年半ぶりとなると緊張して、

5%5%と、声に出しておまじないにしました。


長い間の不義理を詫びたあと、

勇気を出して、

母に言いました。

長い不義理の引き金となった母の言葉を、

取り消してほしい、

謝ってほしい、と。

それでもうこの確執を終わりにしたいのだ、とも。


母からの答えは、

そんなことは言っていないけれど、

あなたがそう言うなら謝るわ、

というものでした。

最悪、怒りを買い再びの確執も覚悟していただけに、

拍子抜けして、

肩の力も抜けました。

2年半ぶりに聞く母の声は、

想像していたよりも遥かに弱くなっていて、

やりきれない思いにもなったけれど、

まずはわたしができる5%のことでいいのだと、

その日は電話をおしまいにしました。


涙がでることもなく、

感動もなく、

あれ以来、特に何が変わるわけでもなく、

ただ普通に毎日が過ぎていくけれど、

抱えていた荷物の重さは、

確実に軽くなって、

わたしのこころのなかも、

穏やかでいられている。

5%からスタートした再出発が、

この先どうなるかはわからないけれど、

焦りも無理もしないけれど、

少しでもいい方向に行くといい。


もう大阪へ行っても、

泣かないかな(笑)


同僚に報告したら、

良かったね、よくがんばった、と、

喜んでくれました。

5%までがんばったよと言ったら、

おかしそうに笑っていました。


これまで、母との件で、

言葉をかけてくださった方、

アドバイスをくださった方、

本当にありがとうございました。



いつも自分を好きでいられるような、

生き方をしていきたいと、

そういう自分でありたいと、

心から思っています。