赤穂市両宮山古墳 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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赤穂市の両宮山古墳へ。

 

奥にみえる高いこんもりが古墳です。

 

 

 

 

 


南東から

 

 

両宮山古墳


本宮高倉山南東麓の扇状地斜面に築造

 

全長206mの前方後円墳

 

5世紀後半

 

備前地域では最大規模

 

 

 

5世紀前半に造られた造山古墳、作山古墳とともに吉備の三大古墳の1つとして数えられています。


 

 

 

 

 

水をたたえた周濠が巡る

 

江戸時代に周濠は農業用のため池として改修・再利用されていた

 

 

 


 

 

 

 

 

東側

 

 

この周濠の外側に新たに周濠が発見された

 

二重の周濠を含めた古墳の長さは、で349mの大きさになる

 

 

 

二重の周濠をもつ古墳は、畿内の大王墓などを中心にみられ、大王との近親関係によって採用されたものと考えられる

 

また、墳丘の平面形は大仙古墳の大きさの5分の2の大きさに設計されている

 

 

 


 

 

 

 

下の方に小さな案内板がありました。

 

 

 

 

 

両宮山古墳

 

三段築成

 

墳丘の両側のくびれ部には造り出し

 

 

これまでに葺石も埴輪もみつかっていない

 

このことは古墳築造の最終作業が行われなかった可能性があり、両宮山古墳の謎となっている



また、両宮山古墳が築造された以降は、この地域で同規模クラスの大形古墳が認められなくなる

「日本書紀」には

 

雄略天皇7年には吉備下道臣前津屋、吉備上道臣田狭が、

 

雄略天皇が崩御した同23年には稚媛・星川皇子が、

 

大和政権に対して反乱を起こしたとされるが、

 

いずれの反乱も鎮圧されてしまった

 

これらを機会に吉備の政治的衰退が始まったとされる

 

 

 

 


 

 

前方部には、両宮神社があります。

 

 

 

 

 

 

本殿

 

 

御祭神

天照大神

豊受 大神

 

 

 

 

 

木が茂っていて、奥には進めません。社殿の周り、前方部のごく一部しか見ることができませんねガーン

 

 

 

 

 

 

 


 

墳丘を下りて、東~南~西へとまわってみました。

 

 


 

 

 

 

観光案内所の脇にも解説板があります。

 

 

 

 

 

南西かとら

 

土手の上に上ってみようか迷ったのですが、「次、行くよー」墳友たちに呼ばれたので諦めました。