小諸市の耳取大塚古墳です。雨女の古墳巡りは”映え”しませんね
耳取大塚古墳
径25m・高さ5.5.8mの円墳
市内の古墳では最大で、平地に単独で造られた(単独墳という)
7世紀前半
玄室部:長さ4.3m・高さ約2.35m・幅2.38~2.98m(奥に行くにしたがって広くなる)
奥壁の鏡石は表面の大きさが長さ2.98m・高さ1.8m
石室に用いられている石材の多くは、浅間山の火山岩である多孔質集塊岩が用いられている。
右側壁の腰石は二石あり、その上に0.9×1.9m0.6×0.9m程度の長方形の石材を二段に横積みしている。
石材の大きさは不揃いで、石材間に40×50cm程度の詰石をし、さらにその隙間に小礫を充填している。
左側壁の腰石も二石で、この上に長方形の石材を二段に横積みしている。
概して、左側壁は右側壁よりも大型の石材を用いている。
左側壁の詰石も右側壁同様である。
両側壁ともかるい「持ち送り」という技法が使われている。
天井石
すでに明治時代には開口していたようで、副葬品については不明
ちょっと離れた所にあるのは石室の石の一部?
はにわ!?かと思ったら、はにわが出土している記述は無し。石材の間に詰められた小礫かしら?
次は御代田町へ移動して、馬瀬口下原古墳群へ。
馬瀬口下原古墳
元々5基あったが、4基消減し1基が保存された
7世紀代
両袖式の横穴式石室
羨道部の天井板が失われているが、天井石 奥壁 側壁 まぐさいし かまち石 羨道部の石積みがよく残っている
金環、ガラス玉、臼玉、直刀片、刀子片、鉄鏃、土師器、須恵器などが少量出土
また、頭骨片や歯も見つかっており、若年期・小児期の人骨が3体分含まれていると推測される
すぐ隣に”こんもり”があります???畑の残土を積み上げたのかしら?