雨の横山西の塚古墳です。
心配していた雨が降り始めました。私は雨女なのです
横山西の塚古墳
直径約15m・高さ約3mの円墳
古墳の北側をかすめるように道路が新設されるため、平成6年に調査が行われました。
道路側の石積みは、墳丘保護のためのものです。
両袖型の横穴式石室が南に開口
玄室:長さ約3m・幅約1.8m
羨道部長さ約1.2m・幅約1.4m
石室内からやや大きめのガラス小玉1・水晶玉1・鉄製品の破片、
周辺から土師器・須恵器の破片が出土
奥壁は高さ約2mで、下に巨石を立て鏡石とし、その上部は平石による小口積みとしています。側壁には大きな石を積み上げ、天井石は大きな平石3枚を架けています。玄室と羨道の境には、石柱を立てて袖石とし、玄門を形づくっています。
虫がいそうなので、羨道手前から奥壁を
次は、狐山古墳へ。
狐山古墳
東西約7.8m・南北約8.3m・高さは南側約2.3m・北側約1m
墳丘の北側半分に巡らされていた周溝から推定すると、直径約8mのほぼ正円形の小型円墳であったと考えられる
昭和59年に発掘調査が行われました。調査終了後に破壊されてしまう計画でしたが、関係者のご理解により墳丘が保存されました。
全長約3.9m・最大幅約1.55mの両袖型横穴式石室は、ほぼ南へ開口しており、奥壁には高さ約1.7mの巨石が建てられています.
玄室と羨道の側壁は左右とも基礎に2個の大石を据え、その上に扁平な石を平積みにしてあります。
石室内部からは刀子3・骨片・歯、周囲からは土師器・須恵器の破片がわずかに出土しただけで、時期を決める確証は得られませんでしたが、石室の設計に宋尺(1尺=25cm)を使用して6尺を基準としたことが判明し、7世紀中ごろまでには築かれたものと推定されます。
墳頂に上ってみました。
”狐山”っていうくらいだから、キツネが住処にしてたのかな?
この後は、石器時代住居跡へ。