金鈴塚古墳といえば”金の鈴”ですが、大刀もたくさん出土しています。
石室内には、3人ないし4人の人物に19振の装飾付大刀が埋葬されていた
後:獅噛環頭大刀
前:単龍環頭大刀
銀装圭頭大刀
金銅装鶏冠頭大刀
金銅製大刀
双龍環頭大刀(古式)
銀装鶏冠頭大刀
単鳳環頭大刀
頭椎大刀(新式)
衝角付冑
銀弓弭
破片も含めると、200点を超える馬具類が出土
4組の馬具の組み合わせがあることが分かった
A
鉄地金銅張心葉形花弁文鏡板付轡と同じ造り・形式の杏葉を伴う組み合わせ
造りがきわめてよく、洋々な馬具を一体感を持って製作されている
B
鉄地金銅張花形鏡板付轡と同じ造り・形式の杏葉を伴う組み合わせ
6C後半以降に倭王権の影響下の工房で製作され、有力な首長に配布されたもの
C
鉄製鉸具造立聞環状鏡板付轡と鉄地金銅張の楕円形斜格子文透杏葉を伴う組み合わせ
この組み合わせは例がないが、全体としては倭王権の影響下で配布されたものと考えられる
D
鉄製大型矩形立聞環状鏡板付轡と鉄地金銅張心葉連珠文杏葉を伴う組み合わせ
この組み合わせは例がないが、全体としては倭王権の影響下で配布されたものと考えられる
A→B→C→Dの順に石室に納められ、A・Bの組み合わせの方がC・Dの組み合わせよりも上位の階層にある馬具である
轡・杏葉・雲珠・鞍・鐙・障泥・飾金具などのいわゆる馬装がフルセットになっているものが最上位の階層
金鈴塚古墳の馬装は、材質の優劣はあれど皆ほぼフルセットなので、首長以上の古墳にふさわしい
宮代栄一氏講座より要約
6世紀後半に古墳造営の最盛期を迎えた祇園・長須賀古墳群
金鈴塚古墳と丸山古墳を最後に、前方後円墳は作られなくなる
7世紀前半に一辺約44mの方墳である松面古墳が造営される
同じ時期に、龍角寺岩屋古墳・駄ノ塚古墳・内裏塚古墳群でも規模の大きい方墳が房総各地で造営されている
7世紀後半には、祇園・長須賀古墳群の東約1.5キロのところに、上総大寺廃寺が建立される
上総大寺廃寺の建立は房総半島では龍角寺と並んで古いと考えられており、龍角寺古墳群との関連性が指摘されている龍角寺とともに、上総大寺廃寺の建立も祇園・長須賀古墳群を造営した首長との関連があるのではないかと考えられている
これは首長の権威の象徴が古墳から寺院へと移り変わったことを示している
ウィキペディアより
上総大寺廃寺へは2021年に行きました。