稲荷森古墳・長須賀丸山古墳 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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木更津古墳巡りの続きです。

 

といっても、2021年に行った時のなんですけどね。写真は途中で会ったネコちゃんです。

 

 

 

 

前回書いた高柳銚子塚古墳は、祇園・長須賀古墳群で最初に造営がされたと考えられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祇園・長須賀古墳群

 

小櫃川下流域沖積平野を中心に、5世紀半ばから7世紀にかけて造営された古墳群

 

高柳銚子塚古墳


祇園大塚山古墳


酒盛塚古墳 


稲荷森古墳 

鶴巻塚古墳

 ↓
金鈴塚古墳 

 ↓
丸山古墳 

 ↓
松面古墳

 ↓
塚の越古墳 

 

 

木更津の古墳はほとんど残ってません。埋め立てする時に削られて、土を持っていかれたようです。

 

 

 

 

祇園大塚山古墳

 

長約100mの前方後円墳

画文帯四仏四獣鏡
金銅製眉庇付
銀製長型耳飾
銀製飾り板
金銅製挂甲小札
銀製挂甲小札
鉄鏃
刀剣


 

 

高柳銚子塚古墳の次に造られた祇園大塚山古墳も墳丘はありませんえーん

 

桂甲と冑のセットでの出土は珍しいそうですよ。

 


 

 

 

 

祇園大塚山古墳の後の数十年間、祇園・長須賀古墳群では目だった古墳の造営は見られない。

 

これは、当時のヤマト王権内の混乱が影響したためといわれている。

 

5世紀末から6世紀にかけて古墳の築造が低調化するのは、全国的な現象である。

 

 

 

 

 

 

 

稲荷森古墳

 

そして、

 

 

6世紀の半ばになると、

 

長100m前後と推定される酒盛塚古墳が造営され、祇園・長須賀古墳群では古墳の築造が復活する。

 


6世紀後半~末には、

 

長約80mの前方後円墳、稲荷森(とうかんもり)古墳が造営される。

 

 

 

 

 

稲荷森古墳 

 

推定墳丘長80mルの前方後円墳

 

6世紀後半~末

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここもほとんど削られてしまいました。

 

 

 

 

 

墳丘へ上ります。

 

 

 

 

 

たくさんの鳥居。

 

 

 

 

 

 

稲荷といえば、キツネさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはお顔が崩れてしまってます。



 

 

 

 

丸山古墳

 

 

6世紀末から7世紀初頭には、

 

長約100mの前方後円墳である金鈴塚古墳が造営される。


同じ頃、長約70mの丸山古墳が造営される。

 

 

 

 

 

たぶん、このこんもりは古墳の一部・・・(であって欲しい)。

 

ちなみに、手前の空き地は今ではお家が建っています。

 

 

 

 

 

 

反対側から

 

民家のお庭の一部のようです。所有者さん、残しておいてくださいね!

 

 

 

 

 

次は金鈴塚古墳です。