次は、高柳銚子塚古墳へ。
高柳銚子塚古墳
長さ142.3mの前方後円墳
後円部径82.5m
前方部幅89.0m
、5世紀中頃
房総最大の内裏塚古墳に次 ぐ規模であることが推定され ています。
ですが、前方部は削平され、後円部の1部が残っているだけです。
解説板かと思って近づくと・・・
至徳堂の三記念碑でした。
至徳堂とは、高柳村の鈴木元朋らによって文化14 年(1817)に建てられた近隣の庶民教育のための郷学だそうです。
後円部残丘の裾部に石棺の底石が残っている・・・
そうなのですが、藪がひどくてこれ以上進めません
この石棺は、畿内王権の棺である長持形石棺を意図 して製作され ている
ただ し、毛野のように直接畿内の石棺作り工人が関与するには至 らなかったため,典型的な長持形石棺にはな らなかった
在地の石材で長持形石棺の類 型を製作し、中央とのつながりの強 さを棺の形式で表そうと した地方有力首長の存在がうかがえる。
埴輪
2次ヨコハケ調整と突出度の高いタガなどの中期円筒埴輪の特徴を備えている
墳丘から南
本来なら、こちらに前方部が続いていたんですね~。
周溝は盾形と推定され、範囲は長198m・後円部側の最大幅133m・前方部側の幅151m
南から
ちょうど電車が通りました。古墳の西側には内房線が走っています。