先日、国立歴史民俗博物館の「オホーツク文化とは何か-東京大学文学部と北海文化研究-」講演会に行ってきました。
講師は、東京大学の熊木先生。
第一展示室の一角では、「北の大地が育んだ古代-オホーツク文化と擦文文化-」が展示されていました。
日本史で古代(飛鳥・奈良・平安時代)と呼ばれた時代、北海道ではオホーツク文化と擦文文化が展開していました。オホーツク文化は、5世紀から9世紀頃にサハリン南部から北海道の東北部、千島列島にかけて広がった文化です。北方から南下した外来の文化と考えられており、海獣狩猟と漁撈を生活の基盤とし、クマを中心とする動物儀礼に特徴があります。擦文文化は7世紀後半から12世紀にかけて北海道の全域に広がった文化で、本州の古代国家の影響のもとに成立しました。漁撈・狩猟・採集を中心に雑穀を利用し、アイヌの文化の直接的な母胎になったと考えられています。しかしながら、ともに本州の古代と同じ時代の文化であるにもかかわらず、本州においては馴染みが薄いのが現状ではないでしょうか。
今回の特集展示では、北海道東部の北見市常呂町に拠点をおき長年にわたって調査・研究を進めてきた東京大学常呂実習施設と、大学共同利用機関である当館が連携して、この2つの文化をわかりやすく紹介します。日本列島には多様な文化が展開していたこと、「あなたの知らない古代」に関心をもっていただけたら幸いです。
オホーツク文化
アムール河口部からサハリン~オホーツク海岸~千島列島に展開
オホーツク文化は、外来の文化。北海道は、オホーツク文化の最南端である。
顔かたちもアムール下流域の人々に近い
青銅製帯飾(栄浦第二遺跡・8世紀)
中国東北部・ロシア極東に展開していた靺鞨系の文化から、青銅製品などのモノがもたらされた。
左:貼付文系(栄浦第二遺跡)
中:貼付文系(トコロチャシ跡遺跡)
右:沈線文系(栄浦第二遺跡)
クジラ猟線刻針入れ(弁天島遺跡・5~9世紀)
北海道のオホーツク文化の遺跡は、すべて海岸部(離れていても1km程度)
海獣狩猟や漁労を生活の基盤とし、道具が発達した
海獣や大型魚を獲るための銛頭にも様々なタイプがある
エイ線刻角器(栄浦第二遺跡・8~9世紀)
上部にエイ、その左下に結合織の釣針が描かれている
竪穴住居(トコロチャシ遺跡・8~9世紀)
長さ11.2mの五角形
床面には粘土と板張りを組み合わせた凹字型の張床
中央に石組と木枠を用いた炉
奥壁部(写真下部)にクマなどの骨を集積した骨塚がある
竪穴住居内に設けられた骨塚(モヨロ貝塚・7~8世紀)
オホーツク文化には動物儀礼の痕跡が多くみられる
クマが全体の半数・アザラシやクジラなどの海獣が残り4分の1
・鳥・魚・両生類・爬虫類
クマを特別視する動物観・世界観が読み取れるが、これをアイヌ文化と単純に結びつけてはいけない
骨製クマ像(トコロチャシ跡遺跡・8~9世紀)
特にクマは特別視され、多くの像がつくられた
角製クマ像(トコロチャシ跡遺跡・8~9世紀)
そうそう、 講師は熊木さんでした😆
牙製ラッコ像(常呂川河口遺跡・8~9世紀)
わきの下のポケットまで表現されています!
アザラシでしょうか?
海獣貼付文土器(常呂川河口遺跡・8~9世紀)
たくさんの海獣が貼つけられているのは群れを表現しているそうです。
明日へ続きます。