「古墳ひとり調査~群馬~」の2日目は朝から雨でした。運転手(夫)と行くと、雨率高いんですよね~。といっても、雨女は私ですが(笑)
1番目は、前に日訪れるはずだった剣崎長瀞西古墳。前日も途中から雨が降り出して暗くなるのが早かったので、2基訪れることができませんでした。
剣崎長瀞西古墳
円墳または帆立貝式古墳
葺石最下段で径30m
高さ現状5m
5世紀後半
南から
2段築成
1段目のテラス外周には円筒埴輪
南側テラス部
南側テラスから家形埴輪1が据えられたままの状態で出土 (ほかに形象埴輪は出土していない)
西から
墳頂部と南側テラス部分の2ヶ所に、竪穴系の埋葬施設
墳頂部の主体部は、ほとんどが壊され規模・形態ともに不明
テラス部分の主体部は、円礫で1m×1.5mの方形区画の中心に長さ0.9mの竪穴式小石槨を築く
この主体部は未盗掘と考えられていて、外観の調査の後そのまま保存された
北から
幅2.5~3mの周堀あり
周堀の底から墳丘に葺石がなされている
周堀内から多数の円筒埴輪が出土
東から
墳頂部から多数の副葬品が出土した
鏡・勾玉・臼玉・鏡形模造品・斧・鎌・刀子・鉄製三角板革綴短甲・鉄製鉾身及び石突・鉄鏃など
出土品は東京国立博物館にあるそうです。
色々事情があるとは思いますが、出土品は出土した場所で見られると嬉しいですね~。市内とは言いませんが、県あたりで保管・展示してくれないかなあ。
剣崎長瀞西古墳から東には剣崎長瀞西遺跡が広がっています。剣崎長瀞西遺跡は東西に長く、Ⅰ区・Ⅱ区と分けられています。
Ⅰ区
弥生中期から古墳中期の竪穴住居跡71軒
5世紀中心の古墳19基
Ⅱ区
弥生後期から古墳中期の竪穴住居跡63軒
7世紀代の古墳15基
古墳中期後半(5世紀後半)の住居跡は47軒、そのうち14軒から韓式系土器が出土
また、韓式系土器が出土する住居跡のうち12軒には竈が設置されている
また、韓式系土器とともに土師器が出土している
割合は土師器が多いことから、日常は土師器を使い、韓式系土器は
自分たちは渡来人であることを示すために持っていたのではないか
韓式系土器
朝鮮半島からもたらされた土器、あるいはその影響下で渡来人及び在地の者が日本で制作した土器(植野浩三氏説)
観音塚考古資料館では、ミニ企画展「渡来人がつくった土器~高崎市内出土の韓式系土器」が行われていて、剣崎長瀞西遺跡の出土品が多く展示されていました。
Ⅰ区からは、渡来人とかかわりが深いとされる方墳や積石塚が見つかっています。
Ⅰ区の東の端にある10号墳は8.2m×9mの方墳。葺石があり、埋葬施設は破壊されていたが、装飾品などが見つかっています。
墳丘上面の中央部からは、大伽耶系の金製垂飾付耳飾りが発見されています。朝鮮半島から持ち込まれたのではないかということです。
13号の土壙からは轡を装着した馬の骨が出土
朝鮮半島製と考えられる
現在日本で発見されている馬具の中で最も古いものの1つ
剣崎長瀞西遺跡は多くの渡来系要素が確認でき、渡来人が存在したことは確実
その渡来人たちは、伽耶地域との繋がりが深い
剣崎長瀞西遺跡のすぐ南には、大島原古墳群があります。
大島原古墳群
30基以上の小規模な古墳があった
西部小学校に6基
いずれも径15~20mの円墳で、横穴式石室がある
6~7世紀
小学校の裏の公園に大島原G号墳が残っているというので、公園の中に入っていきました。
どこだろう?もっと奥かな?
「ないなあ」と思いながら引き返して来たら、黒い柵を見つけました!そういえば、なんとなくこんもりしてたわ(^^;
横にまわると・・・
ツルに覆われててわからなかったよー💦💦
正面から・・・全くわからん💦💦💦