息栖神社・二の鳥居
先日、東国三社巡りをしてきました。まずは息栖神社から。
息栖神社は、鹿島神宮・香取神宮とともに東国三社と呼ばれ、古くから信仰を集めてきました。
関東以北の人は伊勢に参宮したのち、禊ぎの「下三宮巡り」と称してこの三社を参拝したといいます。
神門
拝殿
主神:久那斗神
相殿:天乃鳥船神(アメノトリフネノカミ)・住吉三神
久那斗神(クナドノカミ)
「くなど」は「来な処」すなわち「きてはならない所」の意味。外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神。
別名1・衝立船戸神:(ツキタツフナトノカミ)
古事記では、イザナキノミコトが黄泉の国から逃れて禊をした時、一番最初に投げ捨てた杖から生じた。
別名2・岐神(クナトノカミ)
日本書紀の一書では、ザナキノミコトが大きな石で黄泉坂道を塞って、追いかけてきたイザナミに 杖を投げて「こっちへ来るな」と言った。 この杖を岐神、元の名は来名戸祖神という。
入り口や道路の分岐点などにまつられ、邪霊・禍災の侵入を防ぐと信じられた。
『古事記』においては建御雷神の副使として天乃鳥船神が遣わされました。
また『日本書紀』においては建御雷神と経津主神が遣わされ、久那斗神がその先導にあたったとされています。
建御雷神(武甕槌大神)は鹿島神宮の御祭神、経津主神は香取神宮の御祭神として祀られており、息栖神社では久那斗神を主神、天乃鳥船神を相殿神として祀っています。
息栖神社HPより
本殿
久那斗神と天乃鳥船神は、国譲りの際に鹿島・香取の御祭神に従って東国にいたりました。やがて海辺の日川(神栖市日川)に姿を留め、その後応神朝になって神社として祀られました。
古代、この地域には香取海という内海が広がっていた。
『日本三代実録』では「於岐都説神」、また1321年の古文書では「おきすのやしろ」と記されている。
この「おきつせ・おきす 」は沖洲であり、香取海の沖洲に祀られていたと考えられている。
神社名も沖洲から息栖になったのであろう。
その後、大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に遷座しました。
礎石
本殿は数回におよぶ建て替えがあり、この石はそのいずれの時かの礎石として使用されたものだそうです。
御神木
樹齢およそ1000年の夫婦杉で、途中から幹が分かれ寄り添うように伸びています。
茅の輪
もちろん、くぐらせていただきました。
可愛い狛犬
力石
境内社
左:若宮・香取神社・江神社・手子后神社・八龍神社
右:高房神社・伊邪那岐神社・鹿島神社・奥宮
境内から神門。
稲荷神社
ねこちゃん発見💕いつもこうやって座っているのかしら?
二の鳥居を出て、川へ向かいました。
息栖神社・一の鳥居
一の鳥居は、常陸利根川沿いにあります。その左右には、「忍潮井」という小さな鳥居が立つ2つの井戸があります。
忍潮井
日本三霊泉(伊勢の明星井・伏見の直井・常陸の忍潮井)の1つ。
神功皇后の時代(194年)、
海水におおわれた場所に真水の水脈を発見。
辺りの海水を押しのけて真水が湧出したことから、忍潮井と名つけられた。
男瓶の水を女性が、女瓶の水を男性が飲むと二人は結ばれるという言い伝えがあるそうですよ。
<注意>今はこの井戸は使うことができません。境内の手水舎の奥に、忍潮井と同じ湧水があるそうです。
海に向かって右が男瓶(おがめ)。井戸の中には、白御影石で作られた銚子の形をしているものを男瓶があります。
見えません💦
海に向かって左が女瓶(めがめ)。女瓶は土器の形をしています。
見えません💦 お天気がよければ見えたのかもしれませんね。
海側から一の鳥居
忍潮井には次のような伝説があります。
息栖神社が日川から今の地に遷座した際、取り残された男女二つの瓶は神のあとを慕って三日三晩哭き続けたが、とうとう自力で川を遡り、一の鳥居の下にヒタリと据え付いた。
この地に定着して後も、時々日川を恋しがり二つの瓶は泣いた。
日川地区には瓶の泣き声をそのままの「ボウボウ川」と、瓶との別れを惜んで名付けた「瓶立ち川」の地名が今も残されています。
この後は日川に向かいます!