飛鳥は二つある | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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古代史友と奈良旅行二日目です。

 

 

 

宿泊地の橿原から竹内街道を通って、近つ飛鳥へと向かいます。奥に見えるのは二上山だと思います。

 

方向的には二上山だけれども、形がなんとなく違うような?「見る方向によって形が違う」ということで、古代史友と意見が一致しました(笑)

 

 

 


 

写真撮影NGだったので、パンフレットを。第1展示室は4つの時代とテーマにわけ紹介しています。

 

 

1.石の道

 

1400万年前の二上山火山活動で生み出された

 

サヌカイト・凝灰岩・金剛砂は

 

旧石器時代にはサヌカイトの石器

 

古墳時代には石棺の材料

 

奈良時代には研磨材として利用された

 

 

 

3月に行った箸墓古墳もこの二上山の石が使われていました

 

 

 

2.最古の官道・大道

 

推古天皇21年(613)に

外交の玄関口である難波津と

政治の中心である飛鳥をむすぶ「大道」として整備された

総延長40kmにもおよぶ我が国最古の国道
 

 

 

そのうち難波津と葛城市長尾神社の間が竹内街道(名称は明治時代につけられたもの)
 



3.太子信仰の道

 

聖徳太子は太子町磯長に葬られ

 

御廟は信仰の聖地として熱い信仰を受けた

 

 

 

 

4.庶民の道


中世には大坂港町堺と

 

大和の流通拠点今井を結び栄えた

近世には伊勢や高野山

 

西国巡礼の宿場町としての賑わった

 


 

第2展示室は

 

太子町から出土した銅鐸!や古墳の副葬品

 

古代寺院の瓦、古文書など

 

また

 

街道に残る道標の拓本など

 

展示しています。

 

 

 

 

 

道の駅にて

 

 

近つ飛鳥

 

竹内街道の沿線にあたる場所

 

 

「古事記」には後の反正天皇が

 

難波から大和の石上神宮に行く途中で二泊し

 

近い方を「近つ飛鳥」

 

遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたとある

 

平安時代の「新撰姓氏録」に

 

渡来系氏族が居住していたという記載があり

 

国際色豊な地域であった
 


周辺には大陸系の遺物を出土する

 

6世紀中以降の古墳が広がっている

 



また、南の磯長谷には

 

陵墓など飛鳥時代の大古墳が集まっていて

 

王陵の谷とも呼ばれている

 

 

 


 

春日向山古墳

 

本格的な調査はなされていないが

 

2012年学会立ち入り調査が実施されている

 

    7世紀前半

 

東西65m、南北60m、高さ10mの方墳

 

幅7メートルの空濠

 

この濠の外堤までを含めた規模は一辺100mに達する

 

墳丘規模や形は、蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳と類似

 

第31代用明天皇陵に治定

 

 

 

 

『日本書紀』によれば

 

磐余の池上の陵に葬られ

 

その後「河内の磯長の陵」に改めて葬ったと記録されている

 

 

 

7世紀前半といえば、千葉県の龍角寺岩屋古墳と同時期ですね。あれっ?岩屋古墳の方が大きいぞ!?

 

 

 

 

 

用明天皇

 

父   欽明天皇


母   蘇我堅塩媛


皇后   穴穂部間人皇女

 

子 厩戸皇子

 

 

 

用明天皇は聖徳太子(厩戸皇子)のお父さんなんですよ~。

 

 

竹内街道資料館にも「陵墓など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、王陵の谷とも呼ばれている」って紹介してたでしょ?主に蘇我氏系の天皇・皇族のお墓が多いんですよ。

 

ちなみに用明天皇陵は、天皇で初めての方墳です。

次の崇峻天皇陵とされている赤坂天王山古墳も方墳でしたね。

 

 

 

この日はたくさんの古墳をまわりました。少しずつ紹介していきますね。

 

 

 

 

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