良いお天気が続いた1月の下旬に、龍角寺古墳群を訪れました。
龍角寺古墳群
印旛沼の北東の下総台地ある115基からなる古墳群
房総風土記の丘の敷地内に78基があるため
良好な状態で古墳が保存されている
龍角寺古墳群第101号古墳
発掘調査結果を基に、埴輪の位置を復元してあります!強化プラスチック製で、本物より少し小さく作られているそうです。
円筒埴輪は墳頂と墳底でぐるりと墳丘を囲い、形象埴輪は台状になった両脇に集まっています。
人物埴輪は盾持ち武人・椀を捧げる女子・帽子を被る男子。動物埴輪は馬・鹿・犬・水鳥・猪があります。
龍角寺古墳群第101号古墳
前方後円墳(帆立貝形)
6世紀前半
全長30.5m 高さ3.6m
出土品
埴輪・直刀・刀子・金銅製耳環・管玉・須恵器など
埋葬施設は4か所。埴輪や土器、副葬品の特徴から、6世紀前半に築かれ、7世紀初めまで何回も埋葬が行われたことがわかっています。
龍角寺古墳群は古墳時代後期~終末期につくられています。前期・中期の古墳は発見されおらず、101号墳が一番古いそうです。
史跡岩屋古墳(龍角寺105号墳)
大きい!車が小さく見えます。岩屋古墳は一辺が約80m、方墳では全国第2位の大きさです。
岩屋古墳
方墳
7世紀前半
一辺80m 高さ12.4m
国指定史跡
三段になっているですけど、右端が切れてしまいました💦枯草の色と相まって、まるでピラミッドのようです。
2重の周溝があり、それを入れるとは東西108m・南北96mになるそうです。周溝をいれると、方墳日本一なんですよ!
2本の周溝の間にあった周堤は、
盛土は最大80cm程で、
残りは地山であるローム層を削りだして成形されている
このことから三段築成といわれている古墳墳丘の一番下の段は、
周堤部分と同じく地山を削りだして成形し、
盛土は上2段に行われていたと考えられる
岩屋古墳には横穴式石室が2つあります。 こちらは西石室、残念ながら東石室はシートがかぶせてあって見えません。
石室の入り口の石は、木下貝層で採取される軟質砂岩です。貝が含まれていますね。
木下貝層(きおろしかいそう)
約12~13万年前の地層
その頃の関東平野は、「古東京湾」と呼ばれる大きな海が広がっていた
その時堆積した砂層には
当時生息していた貝類などの化石が含まれている
見つかった貝化石で多いものは
バカガイ、ヒメアサリ、クサビザラガイ、タマキガイ、マメウラシマガイなど
浅海性の貝類がほとんどで、当時浅い海であったことがわかる
国指定天然記念物
天井石の一部には、雲母片岩(筑波山系片岩)が使用されています。
じゃ~ん!カイチュウデントウ🔦
石室がのぞけるというので、持ってきましたよ。
左は天井、右は奥を写しました。
懐中電灯が小さかったせいか、役に立ちませんでした(笑)まあ、入り口が南向きで、天気がよくて、正午だったので、必要もなかったかな。
江戸時代から入り口が開いていたようで、副葬品が全く残っていないそうです。
南側は前庭部から舌状張出地形と呼ばれる斜面地形があります。
筑波山から切り出された雲母片岩は、香取の海から船で運ばれ、ここから上陸したと考えらています。
これは舌状張出地形と石室の間に置いてある雲母片岩。んー、昔から置いてあるのかな?発掘調査の時に置いたのかな?
周囲にはロープが張られてます。前には青面金剛像が祀ってあります。
ロープを張ったのは最近のことだろうけれど、青面金剛像が祀ってあるってことは少なくとも戦前?大正?明治?江戸時代?いや、古墳時代から?
どなたか知っている方、おしえてくださーい!
次は、みそ岩屋古墳へ。
岩屋古墳を見た後なので、小さく感じます(^^; 名前も小さい「岩屋古墳」という意味です。みそっかすとか、おみそっていいますよね。
みそ岩屋古墳(龍角寺106号墳)
方墳
一辺35m
石室の入り口にはシートがかけられています(泣)ここも貝化石を含む石を積んだ石室だそうです。
まだまだ古墳巡りがしたいけれど、ここはぐっと我慢。この後は房総のむらへ。
房総のむらにある「細工の店」。たくさんの籠が飾られています。
これ!実家にありました。左は採った貝を入れるかご。右はウナギ採りかご。
物置の壁にぶら下がってました。懐かしいな~。
で、この日のメイン。かご編み作りです。
先生が割いてくれた竹を交互に編み上げていきます。底から立ち上げていくのに難儀しました💦
形がいびつなのはご愛敬(^^;
小腹がすいたので、せんべい焼きを体験。
1・2・裏返す!1・2・裏返す!1・2・裏返す!これを3分ほど繰り返すと、焼き上がりです。
ぼーっとしていられません。お、おせんべい屋さんて、大変なのね💦
片面に醤油を塗って、海苔をまいて、いっただきま~す💗