何世代にも渡って | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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「発掘された日本列島 2018」展を見に行きました。

 

 

日本列島では毎年8,000件近い発掘調査が行われています。

 

このうち、近年発掘された遺跡や、成果がまとまった

 

注目の17遺跡約540点を速報展示します。

 

 

 

 

 

石槍~本の木遺跡~

 

「本の木論争」の発端となった遺跡です。

 

 

 

本の木論争

 

石槍と土器(縄文土器)が同じ文化層か、本ノ木遺跡で石槍と縄文土器が一緒の文化層から出土。

 

 

縄文土器体系化の祖山内清男・・・「同じ時代に石槍の文化と縄文式土器が文化が混在した」

 

VS

 

日本の旧石器時代研究の第一人者芹沢長介・・・「旧石器時代の遺跡に後の時代の土器が混入しただけ」

 

 

旧石器時代の終末と縄文時代の起源に関する学説論争。1970年代、石槍の時代は縄文土器を伴う時期があるとされた。



 

 

貝塚は、愛知県保見貝塚と千葉県加曽利貝塚が取り上げられていました。

 

加曽利貝塚は地元の講演会に参加しているので、ここはさらーっと流します(笑)

 

 

 

銅剣の柄と盤~上代町遺跡群~
 

赤い漆が塗られている。

 

剣の柄に使われたのはサカキ。

 

盤に使われたのはユヅリハ。

 

銅剣の柄はあまり出土例がなく、

 

刀装具全般からみてもサカキの例は少ない。

 

 

 

 

絵画土器~雲出川下流域遺跡~

 

この土器には、3つの絵が描かれています。

 

 

 

シカ

 

 

 

 

 

稲妻?

 

龍も稲妻も稲が豊作になるようにとの願いが込められているのでしょう。

 

その同じ土器にシカが描かれているとというのは、何故なのかしら?食料として、たくさん獲れることを願って?それとも、稲作に関係ある?

龍と稲妻と同じ土器に描かれているんだから、やっぱり稲作に関係あるんだろうなあ。あとで調べてみることにします。


 

 

 

よろいを着た古墳人~金井東裏遺跡~

 

 

 

 

 

 

小札(こざね)という短冊状の鉄板をひもでつづった甲と、

 

鉄板を横にびょうで留めた冑を身に着けたまま、

 

火砕流にのみこまれた。

 

 

 

 

 

鉄製の小札甲は、当時最新式の武具。

 

ヤマト王権から分け与えられた。



周辺から見つかった鉄矛や鉄鏃には鹿角製の飾りや骨製の丸玉の装飾があったので、

 

首長クラスの高い身分。

 

 

 

 

観世音菩薩立像~武蔵国分寺~

武蔵国分寺資料館で1番人気の菩薩さまがいらしてました。2か月前にお会いしたばかりだから、ここはさらっと流します(笑2)。

 

 

 

 

 

 

日本には約600基の装飾古墳が存在する。

 

 

これらは主に横穴式石室内の石材に、

 

線刻、浮彫、彩色によって、

 

幾何学的文様や器材・動物・人物等の文様を施すもので、

 

古墳時代の死生観や葬送儀礼を知る上で極めて高い価値を有している。

 

 

一方で

 

温湿度等の環境変化によって劣化する危険性があるため、

 

保存対策が必須。



 

 

 

王塚装飾古墳の前室後壁

 

 

【騎馬像】
黒馬と赤馬があり五頭描かれている。
馬の体には面繋(おもがい)、手綱(たづな)・尻繋(しりがい)そして鞍(くら)の装着も見られるほか、手綱に飾金具が描かれる。     

 

  【靫(ゆぎ)】
矢を入れて背負うもので、上部には弓が描かれている。    

 

 【大刀】 
太い鞘(さや)をもち、柄には手を護る帯がつく。    

 

 【盾】
盾の形は上下に開き、下は水平で上は円頭形をしている。

 

 

 【わらび手文】
一種のまじないの図文。
 わらび手文をもつ古墳は「王塚古墳」ほか、合計7基のみ。

 

 

 

 

 

 

 

王塚装飾古墳の後室(玄室)奥壁と石屋形

 【双脚輪状文】
意味は不明ですが、うちわに長い柄をつけて貴人にかざすさしばをかたどったものであるとの説もある。            
     
 

【同心円文】
前室と灯明台に描かれているが、

「王塚古墳」では、約10センチ程度の小型のもの。       

 

 

【三角文】
もっとも多く描かれている文様。

特に石屋形の周辺に集中して描かれている。
 
          
     

 

 

 

 

井寺古墳

 

石室入り口の羨道側壁および石障に

直孤文、同心円文などが線刻されている。

 

もとは、赤・青・白・緑の四色で塗りわけられていた。

 

直弧文という名は 

この古墳の石室に刻み込まれた直線と弧線に由来する。

 

 

 

 

釜尾古墳

 

玄室側の壁の下方1.8mほどに赤色、

 

上部は白色の顔料が塗られている。

 

 

 

 

熊本地震により、井寺古墳や釜尾古墳など装飾古墳が被害にあっています。

 

文化庁は、まず井寺古墳から調査・修復を行う予定です。修復には20~30年という長い月日がかかるそうです。

 

 

 

 

「熊本城の被害がマスコミに取り上げられていますが、装飾古墳の被害もひどいのです。

 

修復には長い年月がかかります。今日この展示を見に来てくれた方の中には、修復された装飾古墳を見ることができない方もいるかもしれません。

 

修復は、何世代にも渡って続くことでしょう。

 

今日は小学生も参加されています。君たちが大人になって、修繕された装飾古墳をぜひ見届けてください」

 

 

学芸員さんの言葉が心に沁みました。

 

 

 

 

 

 

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