「老い」というのは人間の経年変化ですから、抗ってもそのこと(老いること)自体を止めること、逆らうこと(若返ること)は出来ません。ただし、変化の速度を変えること(進行を遅くすること)は可能です。老いることは、いままで出来ていた筈のことが出来なくなることです。子供が成長するに伴って、いままで出来なかったことが出来るようになることと正反対です。ですから「抵抗したって無駄だよ」というのは、どうやったって何時かは老いて同じ道を辿るという意味ではその通りです。が、出来ることなら認知を失ったり、病を得て痛い思い苦しい思い不自由な思いはしたくありません。自分さえそれに耐えれば…という考え方もできますが、多くの場合は周囲に大変な迷惑をかけます。25年問題(老人施設が足りなくなり、医療費・福祉予算が増大する)という国家的な危機を回避することもできます。もちろん誰しも死ぬ訳ですから、何時かは多少なりと国のお世話になることは避けられませんが、それは最小限にしたいと思いませんか。
ピンピンコロリ、ということが言われます。丈夫でピンピンして人生を謳歌し、最後は周囲への迷惑を最小限にしてコロリと死ぬのが一番いい、という意味です。が、残念ながら今までの傾向からすると、これは針の穴に糸を通すより実現が難しいそうです。たぶん、「ピンピン」は努力次第で出来なくはないけれど、コロリと逝けるかどうかは選択とか努力の域を超えるからだと思います。ピンピンもいくら努力したところで、経緯年変化した体はどこかにガタが来ているのでしょうから、「若く」はなれない、ということでしょう。じゃあ「あるがまま」で仕方ないじゃん、ということになりそうですが、せめて日常動作位は誰の助けも借りないで出来る程度はキープしたい、と今のところワタシはそう考えています(それももちろん意に反して出来なくなる可能性はあるのでしょうけれど)。そのために「歩く」とか「社会参加する」とか「脳活」が必要だと思って書いています。