2013.4.20~葛藤~ | 長野県にある アトリエ C-plusのブログ *C-style*

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~C-plusのハッピーライフ〜
自由気ままに、日々のこと、お花のこと、ハンドメイドのことetc・・・綴ります♪

ピグゲームは私にとって『現実逃避』

だから、悲しい感情の中でも淡々とゲームをしていました。

今は、どれも完全閉鎖。お手伝いに行く気がなくなって

しまいました。【ペタ】も最近サボってる・・・。

そろそろ、ピグゲームからは卒業かな・・・。


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悲しみで泣いていたのは、K病院で診察してもらった

あの13日からずっとでした。



A病院の建物を出てから、車に戻り主人に先生が言った事

を涙ながらに話しました。

主人は主人になりに先生に聞きたい事があったようでした。

「もう二度と心臓は動かないのでしょうか?」と・・・。



そうですよね。やはり主人を呼ぶべきだったと後悔しました。


そして、私一人で受けた“宣告”を自分も受け止める気で

いたのだろうと思いました。そういう人なんです。私の主人は。

『喜び』『楽しみ』『悲しみ』『苦しみ』全てを共有したいと思う人です。

反対に私はその気持ちがあるのかな・・・。



そんな中、私は主人に宣言した事がありました。

それは『今度妊娠したら、絶対A病院に来るビックリマーク』と。



K病院、A病院の違いは明らかでした。

正直、妊娠したらウキウキ音譜で通院すると思っていました。

現にいとも簡単に【流産】するとも思ってもいなかったですし・・・。

年齢だけで区切って、色々判断するのは止めてほしい。

【ハイリスク】だらけみたいな。体の個人差は

確実にあるはずだし、喜びより不安に駆られる事が多くなる。

右矢印これは妊娠を扱った本や医学へ対しての怒りですプンプン



そして病院。

K病院は3年くらい前に開院したまだ新しい病院です。

個人病院なので、始めから出産まで同じ先生が診てくれる

メリットがあります。それが一番だと思いました。

私の住んでいる地域は、ホント産婦人科の病院が少なく尚且つ

分娩を扱っていない病院が大半で、

出産間近になると、総合病院に転院して・・・のシステムが成り立って

います。その現状を聞くととても感動的な“お産”ではない。



それはなんとしても避けたかった。



で、K病院。

始めからどこか馴染めなかった。

綺麗な建物で、看護師さんはカフェ店員みたいな服装。

名札もつけてない(多分)。なんだか“顔”が見えない。

医師は60歳前半の穏やかそうな男性。

でも“覇気”が感じられない。必要以上に喋らない。

私自身も、喋る方ではないので困った。



内診検査にしてもそう。

カーテンで仕切るので何をするのか分からない状態なはず。

それなのに何をするか言わない。こちらを気遣う言葉もなし。

看護師さんも同じ。

「椅子を動かします」位。

一番始めの時、これが超音波検査なのは分かった。

でもそのあと、何か器械を入れたのだがこれが凄く痛かったビックリマーク

“妊娠”してからの産婦人科は始めてだが、子宮頚がん検査などで

産婦人科は何回か行っている。

これから何をするのか医師は皆言っていた。

この病院(医師)は何故言わないはてなマーク

腹が立ったが、必要な行為だったのだと思うようにした。



次回から主人も診察室に付いてきてもらった。

その方が私も安心する。

現に医師に質問したら、返事は返ってきた。

こちらが聞けば、喋る医師なのだと夫婦で認識した。

でも、また疑問・・・。あまり薬に関して詳しくないようだった。

そして、超音波検査あとの謎の行為はまた行われた。


来院3回目。※【稽留流産】の言葉が出た日。

本来なら、出産予定日が分かり、妊娠証明書がもらえる日だった。

でも病院に行く前から私の足取りは重くなっていた。

内診でまた謎の行為・・・。

最大の不信感が起きたのは

「【稽留流産】をネットで調べてご覧なさい」と医師が言った言葉。



おなかの中の赤ちゃんに変化があったから・・・?

今となってみれば、赤ちゃんも嫌いだったのかもあの医師を。



だから、手術をK病院で安心して受けれるのか段々不安に

なってきた。

おなかの赤ちゃんを失う悲しみ・・・もう感情が、気持ちが

いっぱいいっぱい。

K病院からもA病院からも、“出血”があったら連絡をと言われていた。

行くとしたらK病院しかない・・・。でも不安。かなり。

4月20日(土)に診察の予約が入っていたので、

私の頭の中ではK病院しかないのだと決め付けていたのかな。
手術の内容は変わらないかも知れない。でも、外来の対応からして

手術前の説明から、当日、術後のケアなどとても親切に分かり易く

説明・対応してくれるようにも思えなかった。

肝心の手術にしても、何も言わず淡々とするだけみたいな・・・・。



4月18日(木)血の混じったおりものが出た。

とりあえずK病院に電話。

「様子を見て下さい」との事。

お腹もさほど痛くなかったし、一回でおりものも終わった。

“出血”が近いのかも・・・と思った。



4月19日(金)私は黙っていた気持ちを素直に主人にメールした。

やはりK病院では不安でならない。A病院で手術を受けれないかと。

主人も同じ気持ちだった。それから話は急展開した。

主人がA病院に問い合わせをしてくれて、A病院で手術が受けられる事に

なったのだ。それが4月20日(土)

19日(金)の午後、急遽A病院に行き事前検査(血液採取)を受けた。

手術(日)が決まったからか、私の足取りも気持ちも軽くなっていった。



A病院の先生は、私達夫婦をなんと思ったのだろう。

まぁ患者の一人にしか思わないだろう。

いや、迷惑だったかもはてなマーク“紹介状”があればまた違ったかも知れない。

転院という形であれば・・・。

けれど、私達夫婦を救ってくれたのだ。

私達夫婦は、先を見据えた上でA病院を選んだ。

おなかの赤ちゃんも安心して、手術を受けたいのだと思う。

現に“安心”して手術を任せられると思った。

そして・・・今度妊娠して通院する為の第一歩。


A病院は、HPで院長・看護師・助産師・受付・レストランスタッフなど

病院にいるスタッフ全ての顔写真+フルネームが載せられている。

しかも、病院玄関にも顔写真を飾ってある。

“安心”や“信頼感”を覚えるのは何故だろう?



おなかの赤ちゃんは一旦私達夫婦から離れるだけ。

また必ず私達夫婦のもとに帰ってくる。

『ただいま』って。

腕に抱きしめた我が子に、私達は言うのだ。

『おかえり!やっと会えたねラブラブ』って。



うん。大丈夫。

だからしばらくのさよなら。

色々教えてくれてありがとう。

自然に妊娠できるんだよって教えてくれたね。

命の大切さを教えてくれたね。

手術の日まで、お腹の中にいい子にいてくれて

本当に本当にありがとうね。


ネットでのクチコミなので、真実は分かりませんが

流産経験後は妊娠しやすくなるそうです。

今回はだめだったけれど、次回の準備をしてくれたのかも

知れないと思えるようにもなりました。




19日の夜はとりあえず最後の親子3人での夜。

思いっきり泣いた。