子宮物語〜産後〜 | がんナースのおし(も)ごと

がんナースのおし(も)ごと

検診では見つからなかった進行浸潤がん(子宮腺扁平上皮がん)と、検診で見つかった早期大腸がん。そんな2つのがん経験者ナースの、日常や生き方を綴っています。

医師にエルボをくらうこともなく、怒鳴られることもなく
無事に男児‥ではなく、女児を産んだ後の話

女の子というのに、髪の毛も体毛も熊なみにボーボーで
決して「可愛い」とは言えない?
でしたが、やはり自分が産んだ子は、誰が何と言おうと可愛かった

分娩室で1~2時間ほど待機したあと、
独歩で階段を昇り、まるで罰ゲーム⁈
自室へ戻り、やれやれ

「よく頑張ったねー
と家族に讃えられてホッとした私

美味しい豪華な食事や、数時間毎の授乳時間を満喫してた矢先の出産二日後に

急に悪寒に見舞われ、40℃近くの発熱

起き上がれない。
食事も出来ない状況に。

医師は首をかしげ
「何かなー?風邪かなー?とりあえず何の感染かわからないので、授乳はやめとこう。」

そして抗生剤の内服が出ましたが、一向によくならず解熱もせず
豪華な食事も出来ないから、おかゆへ変更

医師はずっと
「なんでかなー?」ばかり
風邪症状なんて、全くなかったからねー

そうこうしてる時に、陣痛なみの猛烈な腹痛が起こり出して
(その医院には医師が2人おられたので)もう一人の医師が診察してくださいました

「ちょっと悪露を検査に出してみよう」
そういや、悪露が臭う‥。

検査結果が出るまで、私の症状は全く変わらず、抗生剤を何種類も変更しながらの内服&点滴の上、解熱剤もカンガン投与されました
(2人の医師を悩ませました)

結果‥。

「たまさん、子宮内感染起こしてるね。
これはね、“産じょく熱”といってね、昔はよくコレで皆、亡くなってたんです。
僕も30数年、医者をしてるけど、初めてですわ。
いまどきこんなことを起こす人はいなかった。」

と言われて

看護学校時代に教科書で習ったくらいで、私も実習の時にもそんな人みたことなかった

私って、どれだけ不運と思った‥。

とにかく、母乳で育てたかっただけに授乳が出来ないというショックと、身体の症状の辛さで、ヘロヘロでした

かなり流行ってた病院だったので、熱もあるまま、陣痛のような腹痛もあるまま、退院

自宅から点滴に通ってましたが、運転もフラフラ
(前方が二重に見えてた)
事故も起こさず、無事でよかった

泣き泣きの産後生活でした

腹痛がなくなり、平熱に戻り、悪露がなくなるまで、2カ月近くかかりました
その間、1日3回のボルタレン(強力な解熱鎮痛剤)内服で、無理やり解熱鎮痛をはかっておりましたが、それでも痛みと37℃後半の熱はありました

母乳も産後2日間飲ませただけで、速攻で止まってしまいました


そして、あとから聞いた話
旦那さんは医師から

「これだけ抗生剤をいってるのに、なかなか効かない。もぅこれ以上、何も出来ない。」

と言われてたそうで、私の死を覚悟して、喪主の挨拶を考えてたそう‥
いや、だからいつも勝手に死なさないで‼︎

とにかく、よく生きてた!私‼︎

‥‥‥
といった、産後話があったのです

子宮トラブルの始まりだったんでしょうね

今思い出しても、とてもしんどい時期でした‥。
(もっとしんどい思いをされてる方、山ほどいらっしゃると思いますが

でも、子宮の歴史を書き留めておきたくて、綴っております
2人目も綴る予定ですが

お読みいただき、ありがとうございます