昨日の続きです
ただ「自分がつらい」だけでいいはずのところで
あの人は、友達は、一般的には、発展途上国では…
と別な人間の視点で物を考えること自体、自信のなさの表れ以外の何物でもないような気がするのです。
そして、そうやって他者と自分の苦しみを比較するために
形のない「心」というものを、目に見えるもの、聞こえるもので判断しようとするので
「あの人は私より過酷な環境で生きてきた」とか
「みんなも自分に自信がないって言ってる」とか
「みんなはつらいことも平気で乗り越えてるように見える」なんてことを真に受けてしまって、
「みんなは耐えられることが私だけ耐えられない、これは私の忍耐力の問題だ」と言ってしまうんです。
「ありのままの自分でいいと思える自信」というのは
毎日自己肯定感高く前向きに過ごせることでも、
いつでも自分の意見を主張できることでも、
何にもしなくても「私ってサイコー」と思えることでもありません。
自信があっても苦しいこともあるし
ストレスもたくさんたまるし、
「全部自分のせいかも」と思い詰めることもあります。
だからこそ、みんなあえて「ありのままの自分でも自信を持てるか」と聞かれたら当然「いいえ」と言う。
誰もが「自信を失う経験」はしているからです。
でもその人たちの言う「自信がない」と
自分の思っている「自信がない」は
本当に同じ深さに立っているのか。
誰にも分からないですよね。
だから、比べても意味がないんです。
結局、他者と比べたとしても、それは
今の「自分に自信がない私の頭」で考えるということでしかなくて、
その時点で既におおよその(自己否定的な)結論が出てしまっているんです。
ぜひ、ほかの誰とも比べることのない
「自分はどう感じたか」を大事にしてほしいなと思います。
(他者と比べるのは、比べることで前向きな行動につながる時だけやるのがおすすめです)
*このブログは毎日19時に更新されます
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