他人と自分の苦しみを比べる意味がない理由① | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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「あなたはありのままの自分に自信がないのでしょうか?」

という言葉がけに対して

 

「そうかもしれません。でも、ありのままの自分で自信がある人なんているんですか?」

と聞いていただくことがあります。

 

この時、私はクライアントさんの心の中のお話をしていますが、

クライアントさんは「一般の人々」の話をしていることになります。

 

 

 

これは、

自分の苦しみに自信が持てない方によくある思考のパターン

だったりします。

 

自分の悩みは、悩むほどの価値があるのか?

自分のトラウマは大したことなくて、本当は甘えなんじゃないか?

 

そんな気持ちがあると、何でもすぐ

「一般的にはどうなんだろう」

「みんな自分と同じくらいの悩みは持っているんじゃないか」

と他者の視点で考えてしまう。

 

 

たしかに、物事を冷静に、客観的に考えようと出来る力は大切ですよね。

 

でも、「心の話」の場合はちょっと事情が違ってくる。

 

たとえば、さっきの

「ありのままの自分で自信がある人なんているんですか?」

という疑問を実際に検証したとします。

 

つまり、街中を歩く老若男女に

「ありのままの自分に自信がありますか?」

と聞くんです。

 

すると多分、ほとんどの人たちが

「ない」

と答えると思います。

 

これは、日本の国民性も関係していますが、

それ以前に、

「ありのままの自分に自信がある人」は、そもそもそれが当たり前なので大して自覚もしてない…という理由があるから。

 

自覚してないから、改めて「自信がある?」なんて聞かれると

「え~ないなあ~」と答えます。

目に見えないものだからこそ、なかなか確信を持てないんです。

 

 

 

 

でも、それを聞いたクライアントさんはどうでしょうか?

 

「やっぱりみんな自信なんてないけどそれでも頑張ってるんだ!ありのままの自分に自信、なんて甘えかも」

と考えて、ますます殻に閉じこもってしまいます。

 

でもですね、

 

まず、この「他者の行動や発言を基準にしないと自分の苦しみを測れない」という行為そのものが、自信のなさ以外の何物でもないんですよね。

 

続きます

 

 

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