ただの折り紙を見せて、「これはなに?」と聞くと
だいたいの人は「折り紙」とこたえます。
でも、その折り紙で鶴を折って「これはなに?」と聞くと
今度はわりと多くの人が「鶴」といいます。
そしてさらに、
折り紙の鶴を見て「これはなに?」と聞いた人が外国から来た方だったりすると
「折り紙と答えるか、鶴と答えるか」を一瞬悩む人たちが増えてきます。
人の頭の中では、
状況に合わせた処理や判断が絶えず行われていて、
同じ「これはなに?」という質問をされても、
目の前にある要素は何なのか、
相手はどういう答えを求めているのか、
それは相手がどんな状況にいるからなのか、
私たちの間にはどんな共通認識(当たり前)があるのか…。
…と、自動で色々なことを考えて適切な答えを出そうとします。
でもこの処理や判断は、ある程度の経験(学習)に支えられている部分が多いですよね。
だから
たまたま通りかかった不機嫌そうな上司から「これはなに?」と折り紙の鶴を指さされると、
今度はみんな、「これは折り紙とか鶴とかを聞かれてるんじゃなくて、こんなものを机に置くなと注意されてる!」と即座に判断して「すみません」なんて言ったりするわけです(笑)
「これはなに?」に対して「すみません」というのは、よく考えると全く質問に答えていないわけですが、
言われた方も別に疑問をもつことなく、「全く…」なんて言いながら去っていく。
これはこれで、コミュニケーションが成立したということですよね。
みんな、瞬時に
・折り紙や鶴は知っていて当たり前なのでわざわざ聞かないはずだ
・上司の表情は怒っているから、私の小物に興味をもつ余裕もない
・この上司はイライラするといちゃもんをつけたがる
・これまでの経験上、こういう場合は謝るべきだ
…と状況を処理して対処をしているわけです。
これは、過去の経験と学習の積み重ねがあってこそですね。
そうなると、「私はこれまでの人生で何を経験していて、そこからどのような学習をしているのか」がちょっと大事になってくる。
続きます。
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