「愛される」をあきらめる① | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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人は「愛」と呼ぶものにとらわれてしまいがちな気がする。

 

親から愛されなかった、とか

 

自分を愛してあげないと、とか

 

彼の愛は本物なのか?、とか

 

そういう言葉が世の中にたくさんあふれている。

 

みんなが、なんとなくこの世に「本物の愛」という”何か”があることを前提として生きていて、

 

しかも

 

「じゃあ愛ってなんですか」

 

と尋ねられると、その答えは人それぞれで、統一されていない。

 

結局、愛って何なんだ?

 

「親に愛されなかった」と泣く人の親に話を聞くと、「子供のことを一番に愛している」という言葉が返ってくることがある。

 

別れをちらつかせて愛を確かめる人の交際相手に話を聞くと、「もう愛してないけど、別れるのも面倒」だという。

 

「私はすごく愛されている」と言っていた人が、次の日に「不倫されていた」と泣いている。

 

みんなが求めてやまない「本物の愛」って、なんなんだろう。

 

どこにあるんだろう。

 

答えはすごく簡単で、

多分「本物の愛」っていうのは存在しない。

 

人それぞれが、「これが愛」と思っている何かがあるだけで、その何かというのをよくよく見てみると、「心の傷」だったなんてこともある。

 

ダメダメな夫から離れず支え続ける妻を、周囲は「本物の愛」と言うけれど、それは妻に刻まれた幼少期の深い心の傷が「支えさせている」ことだったりするのだ。

 

だから妻は世話をしたって全然幸せになれない。

 

周りから「愛」という扱いを受けるから、「そうなのだ、なんだかんだできっと夫を愛しているんだ」というような気分でいるし、そうでなければならない気がしてしまう。

 

 

本物の愛なんてものがあるなら、

こんなに苦しんでいる人はいないような気もする。

 

本物の愛があるように思わせられているからこそ、人は存在しないものを求めて迷って苦しい。

 

続きます。

 

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