人は「愛」と呼ぶものにとらわれてしまいがちな気がする。
親から愛されなかった、とか
自分を愛してあげないと、とか
彼の愛は本物なのか?、とか
そういう言葉が世の中にたくさんあふれている。
みんなが、なんとなくこの世に「本物の愛」という”何か”があることを前提として生きていて、
しかも
「じゃあ愛ってなんですか」
と尋ねられると、その答えは人それぞれで、統一されていない。
結局、愛って何なんだ?
「親に愛されなかった」と泣く人の親に話を聞くと、「子供のことを一番に愛している」という言葉が返ってくることがある。
別れをちらつかせて愛を確かめる人の交際相手に話を聞くと、「もう愛してないけど、別れるのも面倒」だという。
「私はすごく愛されている」と言っていた人が、次の日に「不倫されていた」と泣いている。
みんなが求めてやまない「本物の愛」って、なんなんだろう。
どこにあるんだろう。
答えはすごく簡単で、
多分「本物の愛」っていうのは存在しない。
人それぞれが、「これが愛」と思っている何かがあるだけで、その何かというのをよくよく見てみると、「心の傷」だったなんてこともある。
ダメダメな夫から離れず支え続ける妻を、周囲は「本物の愛」と言うけれど、それは妻に刻まれた幼少期の深い心の傷が「支えさせている」ことだったりするのだ。
だから妻は世話をしたって全然幸せになれない。
周りから「愛」という扱いを受けるから、「そうなのだ、なんだかんだできっと夫を愛しているんだ」というような気分でいるし、そうでなければならない気がしてしまう。
本物の愛なんてものがあるなら、
こんなに苦しんでいる人はいないような気もする。
本物の愛があるように思わせられているからこそ、人は存在しないものを求めて迷って苦しい。
続きます。
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