カウンセリングを受けていると、時に「自分の薄暗い部分」に気が付いてしまう事があります。
思っていたより小賢しくて、ズルばかりしている自分。
被害者のふりをして周囲から助けてもらっていた自分。
本当は家族を愛していない自分。
誰かの不幸を喜んでいる自分。
理想の真逆にある、絶対に認めたくない汚い自分の姿に驚いて、
「私はちゃんと家族を愛しています!」
「私はちゃんと人の不幸を悲しめます!」
と言いたくなってしまいます。
でも、問題はそこじゃないんです。
家族を愛せないことも、人の不幸を悲しめないことも、それはそんなに問題じゃない。
そんな程度の事が問題ならば、そんな程度のことで人間性が汚れてしまうなら、この世は見渡す限り汚い人間しかいなくなります。(笑)
人が傷ついてしまうのは、「家族を愛せない」事ではなくて「それを認めてはならない」と思っている時なんです。
「人の不幸を喜ぶ気持ち」が汚いのではなくて、「人の不幸を喜んではならない」と思っているからこそ、自分が汚いと感じてしまうんです。
だから、私達が「私は違う」とか「認めたくない」と感じる時、それ自体が問題なのではありません。
「本音を隠した今のあなたの姿を、誰が望んだの?」というのが問題なんです。
もう少し言えば、「誰のためにあなたは今日まで頑張ってきたの?」ということですね。
愛せないとか、信じられないとか、そういうことで人の価値は変わりません。大丈夫です。
むしろ、そういう自分を受け入れてもいいんだと分かった時から、「愛せないはずの自分」「人の不幸を喜ぶはずの自分」が変わってくることがあります。
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