誰がどう見ても「別れなよ!」と叫びたくなるようなパートナーと、恋愛関係や夫婦関係を保ち続けている人がいます。
気に入らないことがあると暴力を振るう人、
怒鳴ったりこちらを見下すようなことを言う人、
口では何も言わないけれど、冷たい目で罰してくる人。
そんなDV的なパートナーと一緒にいる人は、常に相手の機嫌を損ねていないか気にし、怒りのスイッチを入れないよう注意を払い、おびえた日常を過ごしています。
当然、「ならその人から離れればいいじゃないか」と周囲は考えますよね。
でも実際は、パートナーがいることによる「害」に苦しんでいるにも関わらず、パートナーからなかなか離れられない場合があります。
現実的な問題(経済的な問題など)を抱えていなくても、です。
(こんな感じで、トラウマを与えてくるような人と離れられなくなってしまうことを「トラウマティックボンディング」と言います)
心当たりのある人なら想像できるかもしれませんが、このような関係性は、実は絆としては最強です。
普通ならば、二人の人間がお互いに主張したり譲り合ったりしながら、個を保ちつつ「夫婦」や「カップル」という関係性を作りますよね。
だからこそ、個と個がかみ合わなくなってくると、別れようか?という話が出てくる。
でも、DVをするような関係性はどうでしょうか。
「する側」の一時の気分で「される側」の処遇が決まり、優しくされたり罰されたりする。
「される側」がいくら努力をしたところで、暴力を振るうかどうか、冷たい視線を浴びせるかどうかはすべて「する側」の采配によるものだから、コントロールは出来ない。
だからといって、「される側」が自分の好きなことをして生きようとすれば、それも「する側」が目ざとく見つけ、許さない。
その関係に、「二人の人間」はいませんよね。
分かれているべき二つの個が一体化した状態で、しかもその操縦席にはDVを「する側」が乗っている。
つまり、「される側」の運命は、全て「する側」にゆだねられています。
しかもそれは恐怖だけではありません。たまたまパートナーの機嫌が良かった時の「優しさ」や「安堵」という感情もパートナーに帰属され、パートナーによって「与えられたもの」として受け取ることになります。
だから、離れることが出来ません。
パートナーと一体化してしまった人に、「そこから離れればいい」と声をかけても、その人の全てはパートナーの中にある(状態になっている)ので、離れる自由というものを想像しづらいんですね。
余談ですが、ここでいう「離れられない」は、相手のことがどうしても好きで離れられないのではなく、「離れたいのに離れられない」を言います。
「被害者が、加害者に対して好意や協力の意思を持つこと」はストックホルム症候群と言います。
犯罪に巻き込まれたり監禁状態になった時に起こることがあります。
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