「他人の幸せを喜べない自分」を責めなくていい | 仙台駅前にあるカウンセリング ルーム まきび

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昨日までの続き(おまけ)です。

 

「持っている人」が目の前に現れることで、「持たざる者のみじめさ」を感じてしまうことがあります。

 

例えば、友人や同僚の結婚報告をSNSで見てしまった時。

幸せそうな写真や、たくさんのお祝いの言葉が連なっているのを目にして、「みじめスイッチ」がONになってしまうことがあるかもしれません。

 

 

昨日までは「一人の時間をダラダラするのも気楽でいいな」なんて思っていたのに、他人が自分の持っていないものを手にしているのを見ると、モヤモヤしてしまう。

 

持っている人は恵まれていて、持っていない私は哀れでみじめ。

そんな気がしてしまいます。

「周囲からそんな風に思われてるかも」、という感じ方をする方もいるかもしれません。

 

そして、そんな場面に立ち会うと、もう一つモヤモヤしてしまうことがあります。

 

それは、「他人の幸せを喜べない自分」への不快感や罪悪感です。

 

 

みんなはお祝いの言葉をたくさん投げかけているのに、なんで私はこんなに心が狭いんだろう?

 

そんな気持ちがあると、ますます自分がみじめな存在のように思えてきますよね。

 

でも、そもそもなんで他人の幸せを一緒に喜ばないといけないのでしょうか。

 

…という書き方は良くないかな?でも書いておきます。(笑)

 

他人の幸せを喜べる人が「相手のことを考えられる性格の良い人」だと思っているなら、それはちょっと幻かも。

 

そもそも人間にもともとの性格が良いとか悪いとか、そういうものがあるのかさえ微妙です。

 

誰が結婚しようが、誰が可愛い子供をSNSにアップしようが、本来たいていの人は「どうでもいい」んです。

 

どうでもいい、とは「自分とは無関係と分かっている状態」のことを言います。

自分とは無関係だと思っているから、なんにも傷つくことなく気軽に相手を褒めることが出来るんです。

 

なので、「みじめスイッチ」が入ってしまうときは、そこに心理的なトラップがあると考えるべきです

どうでもいいはずなのに「他人の幸せを喜べない自分」に落ち込むのは、そこに「何か」があるから。

 

人は本来何も思っていないので、みじめスイッチが入らなければ「おめでとう!」と気軽に他者を祝うことが出来ちゃうんですよね。

 

つまり、「他者の幸せを喜べない」事に落ち込んでいる人が目指すゴールは、「他者の幸せを喜べる自分になる」事ではなく「自分と他人をちゃんと切り離せている状態になる」事です。

 

そこがこじれてしまっているから、不必要に傷つき、そんな自分を責めなければならなくなる。

 

必要なのは、傷つかなくなる方法ではなく、「元のフラットな自分に戻る方法」かもしれません。

 

 

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