感想113| 劣等と自罰の美学を捨てて | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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感想113|劣等と自罰の美学を捨てて

匿名希望

自分が至らないことを知っているから、謙虚でいられる。
良い子でいられる。傲慢な本音を出さずにいられる。
他の人と同じようにしたら叩きのめされることが分かっているから、バレないように静かに息をする。
劣等の意識が、私が本当に社会的に醜態をさらしてしまわないためのお守りになっている。
だから自分に何回も自分の醜悪さを言い聞かせて、分相応でいるように自分を躾けようとしていた。これ以上恥をかかないために。

そういう人生と思っていたわりに、それはそれで精神的に堪えるものがあったので、気晴らし程度のつもりでカウンセリングに通い始めた。今冷静になって考えれば先生に失礼だったけれど、ヘラヘラ喋ることが出来ればそれで良くて、根本的には何も変わるつもりが無かった。カウンセリングに通っていたのに、心の底ではずっと「何にも触らないでほしい」とすら思っていて、心と行動が大矛盾していた。

先生は私のヘラヘラした話を聞きながら、たまに「このままでいいのかな」と確認してくださった。最初は言葉を濁していたけど、何年もそうやっていたら、だんだん自分の現状が本当に嫌になってきた。私が歳をとったせいか、先生の「このままでいいのか」が少しずつ効いてきたのかもしれない。

なんで私は変わらないんだ?とぐるぐる考えるようになった。こんなに自分の嫌な部分を知っているのに、必死に自分を罵っているのに?劣等が無くなるでもなし、人間の落ちこぼれと受け止めて諦められるわけでもなし、ただいつまでも自分の足りなさを恨んで、気まぐれに自分に罰を与えて、慣れることもない。

「これではただ自分から苦しみにいく人間のようです」と漏らしたら、先生が「あなたは高潔の神様でいるために、自分を裁き他人への怒りを見ないようにしているかもしれない」とおっしゃった。

本当に、目から鱗、自分を守るガラスにひびが入ったような衝撃だった。
「高潔」その通りだ、と思った。

私は、本当は自分が至らないと思っていたわけではないのかもしれない。他人への恨めしさや不愉快を私なりの綺麗な形に組み替えて愛でていただけかもしれない。

そういえば私は昔いじめにあった時、自分の何かがおかしいからいじめられるのだと悩んだ半面、そういう人達を醜く汚い精神の持ち主として心底、蔑んだ。
私の中にはその時からすでに“高潔の神“がいて、自分が美しくあるために、つまりいじめっ子のような醜く汚い(と私が裁いた)存在にならないために、他者へのネガティブな感情を否定して矛先を自分へ向けることで、「お前たちとは違う存在だ」と示してきたのかもしれない。

 

長く悩んできた「どうして」に、ようやく納得できる説明がついて、出口が見えたような気がした。

 

そして、一通り先生に話を聞いてもらい、自分でも二進も三進もいかないことに悩み、「どうにかしたい」と思えたこのタイミングだからこそ、すんなり受け入れることが出来たのだと思う。

 

これからは心理療法も受けて、自分が変わることに希望を持ってみようと思っている。

 

 

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