何か悩んでいる時、私達はそこに理由があるんじゃないかと思っています。
例えば、飲み物を欲している人に「なぜ水が飲みたいんですか?」と聞いたら、「のどが渇いたから」という理由が返ってきます。
それと同じで、苦しみや後悔、悩みにも、「理由」があるとみんなが思っています。
「昔あの人の悪口を言ってしまったことを私は今後悔している」と言われて、違和感を感じる人はほとんどいないはずです。
そうか、悪口を言ってしまったから後悔しているのね、とみんなが納得しますよね。
ところで、
人は、「本当に見たくないもの」から目を背けるために、「別の苦しみ」を作りだすことがあります。
「その悲しみに気付いてしまったら、この人は壊れてしまうかもしれない!」と考えた心が、その悲しみに気付かずどうにか生き延びてほしいと生み出すシステムの一つです。
ほとんど自動的に発動される渾身の「身を守るシステム」ですが、代償もなかなか大きいのがちょっと厄介なところ。
別の問題に悩むことで「見たくないもの」から目を背けてしまうということは、その「別の問題」にずっと苦しんでいないといけないということになります。
すると、本人は悩んでいるのに「良くなる手段」を選べなかったり、自分が幸せになっていくことに恐怖を感じます。
そして、「見たくないもの」がある人は、一つ問題が解決してもまた別の悩みが作り出されてしまう。
なおかつ、そのシステムは自動的に発動しているものなので、なかなか自分ではダミーの苦しみに気付けない。
(ダミーだろうと苦しいものは苦しいので)
だから、いつまでも「生きづらい」。
人はあらゆる悩みや苦しみ、罪悪感に「理由がある」と思っています。
でもその悩み自体が、本当に見たくないものから身を守るための、ダミーであることもあるんですよね。
そのダミーを用意してしまうループから抜け出したときに、色んな悩みが削ぎ落ちていって、とてもシンプルな自分自身に出会えることがあります。
でも、その過程を、意識の力でやり遂げるのは難しい。
とても苦しい(だからこそダミーが発動している)し、苦しみを意識すればするほど、またそこから「心を守る動き」が生まれてしまう。
だから、心理療法をはじめとするカウンセリングの手法を使って、苦しみを感じる「意識」になるべく触らないようにアプローチをしています。
心が、「見たらきっと壊れてしまう」と警戒しているものは、受け入れてみれば実はとても「良いもの」だったりします。
「見たら壊れてしまうものだから隠さないと」と思ったことで、それが「見てはいけないもの」になっています。
これまで生きてくるためには、きっとそのシステムが必要だったのでしょう。
でも、これから生きるのには、いらないものかもしれません。
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