「人の気持ちに敏感な人」がいます。
多くの場合は「私は人の気持ちがわかるから最高!」とはならずに、「人の気持ちを考えてしまって生きづらい」と感じています。
友だちの挨拶がちょっとそっけない時に、
「私何かしたかな」と考えてしまう。
店員の態度が横柄だと感じるだけでものすごく傷つく。
自分から遊びに誘った後に、
「相手は嫌なのに断れなかったんじゃないか」と不安になる。
「人の気持ちを考える人」は身の回りのネガティブの要因が自分にあるような感覚を持っていて、「人の気持ちを考えることで自分のことを傷つけている」という特徴があります。
こういう心の捉え方が強くなると、「被害妄想(みんなに笑われている気がする)」や「加害妄想(人を傷つけた気がする)」と呼ばれるものになりますが、「ちょっと考えすぎてしまう」という程度なら経験したことがある人も多いだろうと思います。
この考え方をしてしまう人は、被害的・加害的な考え方にとても苦労している一方で、「自分が悪い」という主張を譲れない傾向があります。
「いつも電車に乗るとみんなに笑われている感じがして…」という方に、「それは考えすぎ」というのは通用しません。
「考えすぎかもしれないとは分かっているんですけど、」という感じで、必ず「けれど」でやんわり跳ね返されてしまいます。
「じゃあ、どうしてそう思うの?」と尋ねると、
「見た目がおかしいから」とか「言動が変だから」とか「汗の匂いがすごいから」など、いろんな「自分の原因」が出てきてしまう。
想像というのは、どんな風にも形を変えることが出来ます。
だから、他人の気持ちを想像してしまう人は、物事のつじつま合わせがすごくうまい。
だから、自分が椅子に座った途端に隣の人が席を外しただけで
「やっぱり、私に近づかれると嫌なんだ!」と思ってしまいます。
そんなこと考えたくないはずなのに、ちょっとした出来事に自分をつなげてしまうことで、「日ごろから思っていた不安は当たっていたんだ」と自分の想像力をズレた方向へ肯定していく。
そして、「私の見た目がおかしいからかな」と今度は「自分のせい」を前提にして原因を追究し、
さらに「あの時もそうだった」「あの時も嫌がられていたのかも」と関連しそうな記憶を貼り付けていった結果、
ただ相手が席を立っただけなのに、「私がいるとみんなに迷惑が掛かる」などという、とんでもなく壮大な結論を出してしまったりするのです。
その結論を出して苦しむのは自分なのに、「人からどう思われているか」を追い求めずにはいられないのです。
(続く…かもしれません。)
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