今の自分が嫌いなのに、変わるための努力や工夫ができなかったり、すぐに気力が底をついてまた元の自分に戻ってしまう人がいます。
欲しい才能や容姿や名声を夢見たりはするけれど、次の瞬間に何にも持っていない自分を思い知って奈落の底に突き落とされるような気分になります。
「頑張れない人」は理想と現実のギャップに傷つくだけでなく、「何にもしない自分」に対していつも腹が立つので、自分のことがどんどん嫌いになっていきます。
友人と並ぶのも苦痛なほど自分の見た目が嫌いなのに、
ダイエットや美容を頑張れないのはなんでだろう。
電話が苦手で上手くしゃべれなくて怖いのだから、
通話の練習をしたりコツを勉強すればいいのに、
家に帰るとぼーっとしてしまうのはなんでだろう。
どんどん周りの人達がレベルアップして、
自分が落ちこぼれになっていくのを感じているのに、変わることができずに同じ場所に立ち続けている。
自分へダメ出しをするスキルだけがどんどんレベルアップして、いろんな言葉で自分を苦しめることは出来るのに、そこから改善するための努力や工夫が出来ない。
たまに「やるぞ」と思うんだけど、すぐに気力が底をつきてやめてしまう。
頑張れないクライアントさんは、「自分はダメだ」という考えに捉われがちです。
だからまずは、「もしかしたら変わらないことに何か意味があるのかな?」と考えてみます。
すると、
私も、「そのままで愛されたかった」のかな、
それとも、「そのままでも愛されるはずだ」と思っているのかな。
だから意地でも変わろうとしないのかな。
そんな気持ちが浮かんできます。
でも、それなら私は幸せになりたいはずなのに、
今の自分はまるで不幸になる道を選んでいるような気がしてくる。
実際に今私は生きづらくて、努力すれば改善できるかもしれないことが目の前にたくさんある。
なのに私は動かないし、すぐやめてしまう。
それならいっそ開き直って「クズのままでいいや」と思いたいのに、それも出来ない…。
答えが出ない時は、別の角度からも見てみましょう。
一見怠惰でめんどくさがりにも見えてしまう「頑張れない人」ですが、
実は「完璧主義」という場合があります。
完璧主義な人は中途半端な自分を許せないので、「完璧にやる」か「全くやらない」のどちらかじゃないと落ち着きません。
だから、中途半端になってしまう不快感からのがれたくて、何もしないという選択をしていることがあります。
困りごとの原因は一つではないことがあるので、心の問題のほかに、性質や脳の特性なども踏まえて考えていくことで、見えてくるものがありますね。
さらにもう少し別の角度からも考えてみます。
私が変わらないことの意味を、「私」ではなく「他人」に求めてみます。
すると、「私ではなくてほかの誰かが、私が変わらないことを願っているのかもしれない」というちょっと面白い可能性が出てきます。
詳しく書くと長くなっちゃうので今後にしますが、
人には「社会的に生きる人間としての反応」と「動物的な本能からくる反応」の2つを持っています。
例えば、
「子供の引きこもりが長期化して、母親が将来の不安で押しつぶされそう」な場合。
母親は「早く独り立ちして安心させてほしい」と思っているかもしれません。
子供も母親に迷惑をかけている、困らせているという自覚があって苦しんでいます。
ところが、本当は母親の中に「子供への嫉妬」があったり、
「子供が独り立ちしたら夫の怒りが自分に向く」という危機感があったりして、
母親が無意識に「子供が外に出ないように」しているケースがあるんです。
この嫉妬や危機感は動物的な物なので、母親には全く自覚がありませんし、子供を苦しめようとしているわけでもありません。
このように、本人が変われないのではなくて、誰かによって変わらないようにされている場合、
心理療法でいくら本人に焦点をあてても改善しなかったのに、母親など身近な人に焦点を当てることで効果が出たりします。
自分を嫌いすぎると、自分のことしか考えられなくなるので、「全部が自分のせい」とやけくそになってしまいます。
困っているのに変われない時は、「自分が~」ではなく「エラー」が生じているものと考えて、このエラーは何だろう?と考えてみます。
*このブログは毎日19時に更新されます
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