「頑張らなくたって愛してほしかった」 | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

(おしらせ)

7月23日(祝日)、24日(土曜)は通常通り営業いたします。

 

 

 

自分の居場所を見つけるために、並々ならぬ努力をしてきた人達がいます。

 

その努力の方向性はそれぞれで、

容姿を磨いてきた方もいれば、

学力や知識を付けてきた方もいるし、

歯を食いしばってにこにこしてきた方もいます。

 

 

頑張って頑張って、ようやく自分が求めていた場所がみえてくると、自分に自信が持てるような気がします。

 

「自分に自信がもてると、他人のことが気にならなくなるよ!」

そんな言葉をよく聞きますね。

 

でも、「他人のことがますます気になる」という場合もあります。

 

 

例えば、努力などせずとも最初から恵まれている人のことを嫉妬してしまうことがあります。

自分が努力すればするほど、その人と自分の間には根本的に埋められない差があるような気がして、劣等感が刺激されるような痛みを感じます。

 

 

また、「悩むだけで何にも行動しない人」にイライラしてしまう方もいるでしょう。どうしてやらないの?本当に悩んでないんじゃない?というモヤモヤが頭の中に広がって、説教をしたくなったり、時には軽蔑したくなる気持ちになったりもします。

 

 

あるいは、昔の自分と同じ場所に立っている人をどうにか「良く」しようと思うこともあるかもしれません。「こうしたらいいのに」という気持ちがたくさん浮かんできて、相手を変えよう、と思ってしまいます。これはいい方向に向くこともありますが、「他人が気になる」という意味では同じことかもしれません。

 

 

ものすごい量の努力をしている人に、怒りや焦りのスイッチが入りやすくなってしまうことがあるんですね。

 

 

居場所がほしくて、辛い気持ちを克服したくて頑張ってきた人が、その結果として怒りや焦りを感じやすくなってしまうと、周囲と自分を無意識に比較して、「もっとやらないと」とさらなる努力の道に走ります。

 

 

頑張っている時は自分がキラキラして見えるから、ちょっと無理をすることも出来る。

 

だけど、頑張れば頑張るほど、追い立てられるような辛さがいつも後ろにある気もしてくる。

 

 

追い立てられて、他人のことが気になって、なんだかピリピリしてしまう。

 

 

「他人に抜かされて自分の立場が無くなるのが怖いのかな」と、努力型のクライアントさんは考えます。

 

でもその考えでは、結局もっと頑張ることになってしまいますよね。

 

 

もっと頑張ったら、誰も追いつけない代わりに自分の心も置いてきぼりになってしまわないかな。

 

 

「じゃあ、今の自分のままでもいいって思えれば解決するの?」とも考えてみるけど、

 

でもどうやって?それが出来ないから今の状態があるのに、と考えが戻ってしまう。

 

 

それに、自分より恵まれている人への嫉妬は分かるけど、何にも努力しない人への怒りがうまくつながらない。

 

どうしてイライラしちゃうんだろう。

 

 

今のままの自分でもいいって思えないのは、自分には何か足りない気がするから。

皆にはあるものが、私にはない気がするから。

 

 

でも、「何が無い」のかが、本当はいまいち良くわからない。

人間としての価値?人を幸せに出来る力?生きる意味?それとも…

 

 

もしかしたら、本当は周囲の人達に怒っているんじゃなくて、「私だって努力なんてしなくても、愛されたかった!」「そのままで愛されたかった!」と叫んでいるのかもしれない。

 

 

恵まれている人に嫉妬して、何にもしない人を軽蔑していると思っていたけど、

本当は何にもしない人に対して心のどこかで嫉妬していて、だから「イライラ」しているのかな。

 

 

私は何にもしなくたってそのままで愛されたかったのに

それが得られなかったからつらいの?

 

 

変わるしかなかった私にとって、恵まれている人も何にもしなかった人も「変わらずに生きてこれた」ように見えたから嫌な気持ちになるの?

 

 

そして私は、そのままで愛されたかったのに愛されなかったことに傷ついて、

愛される方法を探して必死に努力して変わってしまったから、

結果的に、もう「そのままで愛される」ということが叶わない現実を見たくないの?

 

 

あれも、これも、バラバラになっていた要素がつながって、深い悲しみがあたたかい涙と一緒に流れていきます。

 

気付きは時に痛みを伴うけれど、気づけるということは受け止める力があるということ。

 

自分の痛みに触れるということは、本来癒しそのものだったのかもしれません。

 

 

だから、一度は経験し心のどこかで知っているはずの痛みを、私達は何度も遠回りをしながら迎えに行きます。

 

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