「そのままの私では愛されない」と思っていると、誰かに尽くしたり貢いだりして相手の喜ぶ顔を見ようとする。
そのままの私で愛される方法が分からないので、物や時間、時には体やお金を使って、相手に好かれようとしてしまう。
相手の都合のいい時間に会えるようにいつもスマホが手放せないし、
相手の小さな表情の変化にすぐ気が付いてサービスしてしまう。
幸せと不幸せのアンバランスが気になっていても、
必要とされたい気持ちが強くてなんでも買ってあげてしまう。
「過度に気を使える人」になることで、自分自身を「便利ツール」のようにしてしまう方々がいます。
「私に価値が無くても、便利ツールなら捨てられないのではないか」
そこには愛を知らない悲しみと、強い怒りが隠れています。
自分で自分をツールのように扱ってしまう方の中には、
自分が尽くした分だけ相手が愛してくれないとものすごく怒ってしまう人もいます。
「私はこんなにしてあげているのにどうして」
という気持ちがあるから怒っている、と考えてしまいますが
本当にそうなのかな、とちょっと立ち止まってみます。
表面的には、愛を返してくれない相手への怒りがある。
怒りの中には不安があって、見捨てられる事への怖さがある。
見捨てられる事への怖さは、ほとんどの場合「経験から来る恐怖」です。
だから、どこかでその人は見捨てられた(と感じる)経験か、見捨てられそうな不安を感じる経験をしていたかもしれない。
そうだとしたら、いま感じている怒りはもしかしたらもっと前からあったものなのかもしれません。
あるいは、自分に腹が立っているのかもしれない。
そのままの自分で愛されたいと思いながら、自分で自分を貶めてしまうことに怒っているのかもしれません。
自分は一体誰に怒っているのか。
それは、「そのままでは愛されない」と感じる人にとって大切なキーワードになりうるものです。
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