強い劣等感をもっていると、
人とのコミュニケーションがうまくいかなくなってしまいます。
簡単な例で言えば、
自分の顔が醜いと思っている人は
他の誰と話す時も自分の顔が気になるので
コミュニケーションに集中できません。
楽しい話も、辛い話も、
どんな会話をしている時でも
心のどこかで自分の顔が気になっているので
実は気が散っています。
顔以外でも、
年収、学歴、容姿、知識をはじめとして
どんな劣等感であってもこれは同じことです。
劣等感を抱えていると、
「自分のことが気になってコミュニケーションに集中できない」
という問題だけでなく
「相手のことを人間として受け入れる余裕がない」
という問題も現れます。
つまり、自分に対して「劣る」という感覚を持つ人は
当然、「何かに対して劣る」わけですから
比較対象があるわけです。
すると、目の前にいる人も比較対象にしてしまって
コミュニケーション以前に「優か劣か」に気をとられ
相手に対する「優劣」以外の関心が無くなります。
ところで、劣等感には面白い特徴があります。
それは「劣等感自体が劣等感になる」、ということ。
先ほどの、顔が醜いと思い劣等感をもつ人(例ですが)も、
最初は、誰かと自分を比べたり、もしくは第三者に比較されたりして
劣等感を抱いたはずです。
(「優れる」「劣る」というのは
比較対象がいないと絶対に発生しない感覚です。)
でも、その「劣っている感覚」がいろんな相手に適用され始めて、
「私の顔はみんなより醜い」という気持ちが大きくなると、
「劣等感を感じている時点ですでに相手よりも下」になります。
こうなると、相手がどんな人であれ
劣等感のスイッチが入り続けることになり、
自分の中の劣等感はどんどん大きくなって、
最終的に「顔だけじゃなく存在自体が相手よりも劣っている」気がしてくるのです。
自分の劣等感スイッチが入り続けるということは、
無条件で相手の優越も感じることになりますから
結果的にいつも相手と自分を比べることに気をとられて
相手の人間に興味や関心を持てなくなります。
ただ、強い優越感を持っている人が
人とのコミュニケーションがうまく出来るかというと
そうでもありません。
優越感と劣等感はコインの表裏に過ぎず、
相手を下に見る事しかできなくなるので
深い学びのあるコミュニケーションはとれなくなってしまいます。
劣等感も、優越感も、手放した方が人は人との関りを楽しめます。
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