プライドが高いこと自体はそんなに問題じゃありません。
問題なのは、そのせいで生きづらくなっていること。
プライドが高い人は、大きく分けて2つの生き方をします。
一つ目は、自分のプライドのためにガツガツなんでも努力するタイプ。
もう一つは、自分のプライドが崩れ落ちるのが怖くて、何も動けなくなっているタイプ。
自分のプライドに合わせて行動し、勉強するなり努力するなりして「プライドに見合う力」を備えている人は、何かにおいて成功もしやすいです。自分の望んだものを自分で手に入れられる力があるというのは強みですよね。
ただし、プライドに見合うだけの努力や力が追い付かなくなったり、壁にぶち当たったり、頑張りすぎて息切れしてくると、自分を支えていたプライドが一転、自分を揺さぶる厄介者になったりします。
プライドがあるというのは、「こうであるべき自分像」がしっかりあるということでもあります。
その自分像とのギャップが激しくなると、当然苦しくなりますね。
今まで食らいつくことができていた分、余計に落ち込んで、「自分はできない」「もっと出来るはずだ」という2極の考えの中でぐちゃぐちゃになってしまいます。
一方、プライドがあるから動けないという人もいます。
どちらかと言うと消極的、活動できるエネルギーが少なめの方だと、「努力してプライドに見合うようになる」というよりも、「プライドがへし折られてしまったら心が持たないから、何もしない」というパターンになることがあります。
こういう方は何か失敗するたびに絶望的な気持ちになってしまうので、失敗しないために行動自体を避ける傾向が強いです。
行動を起こさないのでなにかを成し遂げることも少ないのですが、その代わり失敗もしていないのでプライドが崩れることもなく、結果的に「プライドがあるから何も出来ない」という状態を堂々巡りしてしまいます。
そう考えていくと、プライドとは一種の恐れでもあるといえますね。
続きます。
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