前回までの話の中で、
「自分の中にある気持ちを認める」
ということを書きました。
この「認める」を「自己卑下」と混同してしまう方がとても多いのが実情です。
一見、全然違うことのように見えますよね。
でもこの線引きをするのが、意外に難しいんです。
この違いを一言でいうと、
「自分をディスるのは自己卑下」
「自分を見守れるのが“認める”」
ということになります。
前回までの腕時計の話で例えるなら、
「どうせ俺が頑張ったところで手にできるのはこの程度なんだ」
「みんなより安い時計で浮かれてるってバカだな」
は「自己卑下」です。
「俺はかっこつけたくて頑張って背伸びしたのに、周りがもっといいものを持っていて恥ずかしかったんだな」
「本当は周囲にすごいって思われたかったんだな」
「頑張ったことも辱められたような気分になって悲しかったんだな」
これが「認める」ということです。
なんとなく分かりますか?
認める作業とは、自分を傷つけたり追い打ちをかけたりすることではありません。
あるがままの自分の気持ちを見守ってあげられるということです。
自己卑下をしてしまう人達は、
自分が思いあがったことを自分でボコボコにつぶそう!という気持ちがあったりします。
でも、自己卑下って癖になる割に「効果」が無いんですよね。
自己卑下を繰り返していると、
自分がちょっと油断したことで感じる苦しみに対して非常にナイーブになっていきます。
だからもっと自分を傷つけてしまう。
傷つかないために傷をつけておこうという気持ちもあるかもしれません。
でも、「押さえつける行為」というのは必ず反動を生むので、
また自分を責めなければならないようなことが起こってしまう。
「変われない」という悩みがある方は、自己卑下してしまうことが多いです。
認める、ことは押さえつけることではありません。
だから反動も生まれない。
自己卑下したくなった時は、自分の感情を遠くから観察するようにして、
「こういう感情が自分の中にあったんだな、それでつらかったんだな、分かるよ」
と思うようにしてみてくださいね。
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