集団があって個人があるのほうが生きやすいかも | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

ふお~、今日も遅くなった。

 

内田樹さんの『サル化する社会』、届いたんですが、

まだ読めてないです。

 

私がわかっていただけるだろうなと

思う人によく話す内容、

集団のために生きることが

個人の安心を生む、

 

という内容に厚みを持たせる上で

教えをいただける内容を期待しています。

 

これは単純な話なんですが、

個人の幸せってたいていの人は

・思い通りにいく

・そこに快がある

ことをおっしゃっているように思います。

 

これってマッチ売りの少女がマッチをするように

すぐ消えてなくなりますよね。

 

童話のアリとキリギリスのキリギリスに近い生き方。

お金さえあれば、の世界です。

 

逆に周りの人によくしているとどうなるか。

(もちろん相手を選ぶ必要はいくらかありますが)

 

まともな相手ならこちらに感じよくなりますよね。

 

それをつなげていってください。

 

周りに敵がいなくなるんです。

(もちろん一部、何しても通じない人もいます)

 

それってとても気楽なことじゃないですか?

映画ペイフォワードでも円楼の話でもありましたが、

安心して過ごすのに周りによくしておいてわるいことは

ないと思うのです。

 

利己的でも非利己的でもかまわないです。

ただ隣の人に感じよくすることが広がれば

自分も感じのよい場所で過ごせる。

 

もちろん、一緒にいる時間が長ければ、

間違ったり、失礼をしたり、いろんなことがあります。

 

それでもその流れをとめるより、

とめないほうが結局、周りと自分のためになりますよね。

(悲しいことに通じない人はいますので

相手は選ぶ必要がありますが)

 

日本は集団のためにがんばれる民族だったのに

知らぬ間に幼児的な個人主義に走ってしまったように思います。

 

自分らしさが思い通りにいくことと同義なら

幼児のままでいることを誇らしげに語る大人であふれてしまいます。

 

ということはその逆を学ぶことが共生する人になることなのかな

と思ったりしてます。

 

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