禅寺のときもそうだが、
息苦しさ、重苦しさの原因が
『求めすぎる』ことだった。
自分にであれ、他人にであれ、
『求めれば』くるしい。
求めてかなえば、一時的に満足できても
次がほしくなる。
ぼくは自分が求めている形に
耐えうる人材ではなかった。
だからこそ、この体験ができた。
自分の弱さ、情けなさ、みじめさを
受け入れる体験
親から認めてもらえなかった体験
それを受け入れることは
役に立たない人間であること
つまり親から見捨てられるかもしれない
子供に取ったら、『死ぬ』ことと同義
『求める心』が死んでしまうことで
やっと自分が始まったんですね。
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