尊敬する人物を前にして
自分を見失うことってときとしてあることだと思う。
そんなとき、吉川英治の小説をもとにした宮本武蔵のマンガの中で
「しいて言えば、山が師です」
という一節があった気がして
今、思うとこれはとてもよいように思う。
尊敬する人がいると
「その人に認められたい」
という誘惑にかられる。
謙虚でいるために『尊敬』というのは役に立つこともあるが、
『認められたい』誘惑にかられると自分を見失う。
もちろん固定して守るべき自分というものは必要ないにせよ、
ある種の意識を保ちたいときには
現在生きていて接することができる人を尊敬するのは
強烈な誘惑にかられる人もいると思う。
ある種の意識を保ちながら、生活するにはそのほかにも
いろんな誘惑があるが、接することができる人物を尊敬することで生まれるマイナスに気づけてよかったので書き残しておこうと思う。
マンガネタばかりでどうかと思うが
『黒子のバスケ』でも相手の技のコピーができる黄瀬くんが
『自分が尊敬している人物の技はコピーできない』ということで
尊敬することをやめて相手の技をコピーして相手を越えようとする話も同じことのように思う。
そしてドンファンのカルロス・カスタネダシリーズを読んでおいてよかったなと思い、また読み返そうと考えている。
「意識の扱い方・注意力」などをもう一度参考にしたい。
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