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自分に気がついた幼い頃から、私は運が良くて、弟はいつも、貧乏くじを引いてるな~と思っていた。
何時も運のいい自分だけが幸せになってはいけない!ずっとそう思い続け、その思いから解放されたのはつい5・6年前の事だった。
大阪にいた時は、60年以上昔なのに、長女とはいえ女の私が大切にされ、長男である父や弟、まして母は、下男下女のような扱いに思えた。
私は祖父母と広い二階で寝ており、一階には二間続きの座敷があるのに、父母と弟はその隣の4畳半で寝ていた。
また、親の離婚で母の実家に居候した時は、小学3年の弟が運搬自転車に横乗りして、荷台に山盛り積んだ靴下を隣村まで運ばされていた。
運搬自転車とは、自動車普及前の荷物運び用自転車で、ごつい車体に大きな荷台、一般には大人の男子がのるものだった。
いくら身体が大きい方だったとはいえ、小学3年の弟がサドルに座ってペダルを踏むことなど到底できる大きさではない。
その上に山のような荷物を載せてだった。
婦人用自転車が出てきたのは私が小学5・6年の頃で、弟に教えられて、やっと私は自転車に乗れるようになったのだった。
何歳の頃か記憶がないのだが、その荷物運びをせず遊びに行ったといって、叔父は弟を庭木にくくりつけて放置した。
保育所勤めを終えて帰宅した母はそれを見ても何も言わず10人分の食事にとりかかっていた。
祖母はどうしていたのだろう、全く記憶にない。
庭木にくくりつけられている弟、食事を作っている母、その二人を凍りついたように見ている自分自身の三者だけが目に焼き付き、
『おじちゃん、自分の子供にそんなことをするのか見ていてやる!』と心の中で叫んでいた。
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