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カウンセリングルームまきびHP:相談例
「幼子」 それは純粋、何の穢れもない、素直、清らか、、、、、
そんな類の言葉が浮かぶ。
私とは何の関係もないこと、そんな時代は私には無かった。
大嫌いな言葉。
東京でカウセリング講座に参加した1回目か2回目、感動したことを話すの時(だったと思う)。
小学6年の時、好きだった子の家を探しに隣村に出かけた。
その時見た夕焼けの美しさ!いまだにあの美しさに勝る夕焼けを見たことがない。
美しいを通り越している。
神々しい美しさ、「こうごうしい」を「神・神」と書くことに納得する美しさだった。
彼の家を見に行ったのか、夕焼けを見に行ったのか、それからよくその丘陵に出かけた。
50代初めの私の話を、4人グループの年配の男性(今の私ぐらいだったろう)がすごく感動してくださった。
こんなありふれた話にそんなに感動してくださるなんて、どうしたの? いぶかる程度のその場の私。
帰宅して一週間ほどの時、彼の言葉をふと思い出し泣き崩れてしまった。
「あなたには、そんな美しい子ども時代があったんだね」
他の人にはあるのに、なんで、なんで、私にはないの!
「美しい子ども時代が」!
それがどんなに悔しいことだったか、怒りだったか、を初めて知った。
一年半ほどはその言葉をふと思い出すたびに泣いていた。
「私にも美しい子ども時代があったんだ・・・」
そして1年半後、気がついたのは、彼の言った言葉は違う。
多分「その美しい夕焼けに感動できる子ども時代だったんだね」。
でも、私の無意識が聞きたかった言葉は
「あなたには、そんな美しい子ども時代があったんだね」
私は聞きたかった言葉を聞いたんだ。
講座に行くと今までもらったことのないプレゼントがもらえる!
家族を置いて、東京へ行ける!・・・なんとミーハーな私!
この二つが、東京へ、講座へ、私をいざなった。
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